皆さんこんばんは、地図子です。
地図子の冬の気になる暗渠、今回は谷端川・小石川の後編になります!
C地点の板橋駅から南東に流れて、F地点の神田川への合流地点を目指します。
後半は1934年頃には埋め立てられているゾーンなので、無事追えるかドキドキです。
カシミール3Dと暗渠本を片手に、れっつごー!
トンネルを抜けるとそこは・・・
前編はJR板橋駅の下を通る地下通路で離脱したのですが、今回はその先へ。
トンネルを抜けるとそこは・・・
雪国ではなく、北区滝野川でした。
というかよ〜く見ると、豊島区と北区の境界線を流れています。
そういえばJR板橋駅は板橋区・豊島区・北区の境にあることで有名なのですが、暗渠が下を通っていたことも関係していたんですね。
トンネルを抜けたところで右に曲がり、ここから南東方面に向きを変えます。
この辺りもクリーニング屋さんが多くて、どこか藍染川っぽい雰囲気が漂っています。
都電と暗渠
ゆるやかなカーブの道を歩いていくと、北大塚3丁目の交差点にぶつかります。
ここからは大通りに出てしまって、植え込み以外は川の痕跡は分からないか・・・
と思っていたら、次の交差点が「空蝉橋下」!
渋谷川の「観音橋」のとき並みに感動しました。
たまに優しい誰かが交差点名に橋を残してくれるので、暗渠さんぽの励みになります。
大通りを歩いていたら、D地点のJR大塚駅の北側のロータリーに出てきました。
ここは都電も走っていて、そのすぐ横には滝不動が残っています。
大塚近辺住民のどのくらいの人がここに川が流れていたことがあって、滝不動の存在を理解しているのか、気になるものです。
小石川は山手線の線路の下をくぐってどこに出るかというと、大塚三業通りです。
ここは昔ながらの割烹も多く、渋谷の民である地図子は円山町を思い出します。
大塚の割烹も、ランチを出してくれたりしないのでしょうか・・・
小石川に残る古き日本
大塚三業通りを通り抜けると、文京区のお出ましです。
ここには氷川下町児童遊園が残り、文京区千石になる前の古い町名を残しています。
文京区はやはり面白い場所で、目を凝らしていると古い街並みが見えます。
猫又坂の一本下流には氷川坂があり、難しい漢字の簸川神社(E地点)があります。
気になっているので、川から脱出して境内まで登ってみましたが、良い眺めです。
昭和より前は、この崖と川がセットだったのでしょう。
桜が綺麗で大好きな播磨坂のふもとの小石川植物園横を通り過ぎ、旧地名・戸崎町エリアに入ります。
改名されてからしばらく経ちますが、戸崎町の提灯がぶら下がっていて、江戸の気風を感じるエリアです。
そんなことを考えながらひたすら歩く地図子の頭上を
「オヤジ、今これ積んだ?」「積んだよ」
という会話が飛び交います。
両側見てみると、いかにも戸崎町育ちなお兄さんとそのお父さんなのですが、どちらも東京の山手線内の人とは思えないほどのたくましさ・・・!!
このかっこよさが都内で見れるのは、歴史が残る小石川の暗渠沿いだけでしょう。
戸崎町周辺で暗渠らしい道を辿れるのは最後になり、千川通りに出てしまいます。
最後の古き良き文京区の名残として、蒟蒻閻魔様にお参りします・・・
けれど、もう目の前は巨大な千川通りで開発し尽くされています。
目の前には展望台から新宿の高層ビル群や富士山が見えることで有名な文京区役所。
川の雰囲気ではなく、新しい建物を味わいながら進むことにします。
現在の後楽園ドーム周辺には元々東京砲兵工廠という郡の施設があったため、土地はかなりいじられてしまっていると聞いています。
その中でもこのウォータープールが、昔の小石川の流れを残しているとのことでした。
隠れた川のサインを探すのは面白いですね。
このウォータープールが最後辿り着く先は・・・神田川の市兵衛河岸(F地点)です!
小石川、無事に神田川に合流することができました。
神田川を歩くでもこの市兵衛河岸を気にしたことがなかったのですが、このようにひっそりと残っていました。
今回の谷端川・小石川を歩く、はここまでになります!
谷端川は板橋区と豊島区の色合いが強く、路線との交差を楽しめる川でした。
小石川は文京区らしい暗渠で、道だけでは分からない小さいサインが色々残っていましたね!
池袋周辺は楽しい暗渠がたくさんあるので、まだまだ歩いていきたいと思います。
今回も本田創さんの本を参考にさせていただきました。ありがとうございます♡
皆さんも小石川で色々な暗渠サインを見つけてみては?♡♡