鴨川沿いを突っ走ります、地図子です。
前回は山の神でないと登れないような水源近くを探検し、
京都市内を土砂から守る柊野堰堤で黄昏てきました。
今回の鴨川を行くでは、
第1部は水源近くから上賀茂神社までをドライブし、
というテーマのうち、一番ポピュラーな京都の街中の区間を歩きます!
鴨川といえば、写真を撮る観光客、酔っ払った大学生、運動する近所の方など、
川辺での思い出をお持ちの方が多いのではないのでしょうか?
川床で優雅に京料理をいただくのは日本人の憧れですし、
カップルが等間隔で座ることを指す、鴨川等間隔の法則という言葉も生まれています。
川の近くまで歩ける、しかもご飯まで食べることができるというこの親密さが、
今まで歩いてきた川との違いであり、
この特性が鴨川を日本人の憧れの川にしていると思うのです。
普通は洪水などの危険性が伴うのに、どうして鴨川ではこのようなことが可能なのか、
柊野堰堤以外の中流域の秘密も探っていきます。
御土居・上賀茂神社からのウェルカムメッセージ
さて、ヒヤヒヤしたドライブを終えてレンタカーを返却し、
桟敷ヶ岳や柊野堰堤の方を振り返ると山が広がっていますが・・・
これから歩く下流方面を望むと、なんだか鴨川らしい景色!
奥に見えるのが東山方面になります。
上賀茂神社に立ち寄る前に御薗橋近くで発見したのが、鴨川の秘密を握る御土居です。
御土居は豊臣秀吉によって敵の侵入を防ぐために1591年に築造され、
京都を洛中と洛外で明確に分ける境界線となり、
鴨川側には清蔵口、鞍馬口、大原口、荒神口、粟田口と出入口が設けられていました。
御土居は図らずも敵だけでなく、氾濫した水を止めるのにも一役買ったようです。
さて、ようやくスタート地点の上賀茂神社(賀茂別雷神社)に到着です。
この頃は年末だったので、あまり人が多くなく、広い境内をゆっくりと歩けました。
ところが・・・お参りを終えた直後に、この写真からは信じられないような
お天気雨がざあざあと降ってきたのです。
地図子、雨の中で鴨川を歩き続けることになるのか!?お願い、神様!
・・・と祈ったところ、奇跡的にお天気雨はパタリと止み、
空には綺麗な虹が光ったのです!
なんという風流なお出迎えなのでしょう!さすが京都!
雨が上がり、念願の鴨川ウォークを始めると、目に飛び込むのはこの景色です。
ランニングやワンちゃんとのお散歩を楽しんでいる人を多く見かけます。
私も毎日鴨川沿いをお散歩できたらな〜と考えていると・・・
お!あれは!
飛び石がありました。遊び心が素晴らしい。
安全重視の現代、関東では浅川の非公式な飛び石しか見たことがありませんでした。
しかし、ここではポケモンGOを開くと「手裏剣」というジムがあったので、
鴨川公式の飛び石のようです。
実際に渡ってみて、この川との近さ、可愛い遊び心が鴨川の魅力だと思いました。
京都はとても不思議な天候が多く、虹が出た後の空はまるで火事かのようででした。
こんな自然現象を楽しめるのも鴨川ならではかもしれません。
雪降る鴨川デルタ
上賀茂神社から歩いた約4kmで遂にやってきました、鴨川デルタ!
東から高野川が鴨川に合流するのですが、この間に三角州があるのです。
ここにも飛び石があり、右岸、鴨川デルタ、左岸をすべて繋いでいます。
この飛び石が小説やドラマの舞台としても使われていて、
写真を撮る観光客を始め、色んな人を引き寄せています。
地図子も実際に鴨川デルタに降り立ってみます。
鴨川の神のような気分になれますね。
飛び石が一部カメの形をしているのも良き遊び心です。
・・・が!ここではお天気雨に続いてまさかの事態が!
歩いているのは年末で極寒の京都・・・ちらほら落ちてきたのはなんと雪!
滞在時間が限られているので雨でも雪でも歩く予定でしたが、
いざ携帯やカメラを取り出すために手袋を外そうとすると、
指が凍ってもげ落ちそうなくらい寒さです。先が危ぶまれます。
ゔゔゔ、寒い!
おりゃー!どうにかしてくれー!京都の神様ー!
と心の中で叫んでいたら・・・
晴れました。奇跡。
太陽が出ているのと出ていないのでは、体感温度が全然違います。
散歩なんて晴れがいいに決まっています。もう太陽しか信じません。
川床は埋立地!?
鴨川には合流も分岐も多く、左岸では琵琶湖疏水、そして白川の合流があります。
逆に分岐としては、これまた京都の風情が香る高瀬川が挙げられるのです。
実は高瀬川は鴨川からみそそぎ川を経て分水されています。
名前に反して、川と言うより江戸時代に物流用に造られた運河なのですね。
分水先で高瀬川が流れ始めるようになった区間から、あの有名な川床が始まります。
日本ではあまり見かけないような水上店舗が立ち並んでいますが、
どうして多摩川や荒川には川床がなくて、鴨川にはあるのでしょうか?
実は上賀茂神社から清水五条までにかけて、1669年から寛文新堤が建設されたのです。
このときに豊臣秀吉が築いた御土居の大方は崩されてしまいましたが、
御土居があった河原町大通付近から現在の右岸まで川幅が狭められ、
その間の埋め立てと市街地化が進みました。
三条大橋から鴨川を見下ろしてみると、
確かに左岸も、そして右岸はより、岸が造りこまれているように見えてきます。
ただそれでも人工物でガチガチに造りこむのではなく、自然の余白を残している、
それが鴨川らしさ、ひいては京都らしさなのかもしれません。
鴨川の元の幅を考える
さて、中流編最後は四条の左岸と五条の右岸それぞれで、
鴨川の元の幅がどの辺りまであったのかを考えていきます。
まず、京阪本線・東西線祇園四条駅から八幡神社の方へ向かった四条通りを歩くと、
南座などが近い、四条大和大路交差点に辿り着きます。
ここでは交差点が微妙に隆起していて、そこから鴨川までは下っている?ような?
昔の鴨川は南座の隣まで鴨川の川幅があったようです。
祇園四条から更に南下して、京阪本線清水五条駅近くまで歩いてきました。
ここまで来ると京都タワーが見えるようになり、南のニュー京都感が強くなります。
今度は鴨川右岸で五条通りを少し西に進むと、富小路通と交差します。
ここを入るとお寺がいくつかあるのでよく見ると、
富小路通の西側にあるお寺の境内は平らですが・・・
通りの東側(鴨川側)は少し下がっているのです。
この微妙な高低差から、鴨川の昔の川幅は富小路通までだという説があるようです。
風情ある川床も清水五条が最後になります。
せっかくなので京都らしい鴨川の景色を味わいながら休憩したい・・・!
そこで今回立ち寄らせていただいたのはエフィッシュさん。
高瀬川と鴨川の間に挟まれていて、映画館のように鴨川を大窓から眺められます。
これはエフィッシュさんのために清水五条に引っ越すという記事に納得。
鴨川近くということで、蜃気楼さんやVeg Outさんも気になっていましたがまた今度。
鴨川を行く中流編はここまでになります。
鴨川の魅力は:
①御土居・・・安土桃山時代に敵の侵入を防ぐために作ったが、洪水まで防いだ
②寛文新堤・・・江戸時代に川を埋め立てたことで、距離感が近付いた
③柊野堰堤・・・昭和の大水害を受けて、土砂・水量を安定化した
など様々な時代の安全対策によって洪水が妨げられ、
鴨川デルタや川床などウォーターフロント文化が発展したことにあると感じました。
現在でも多くの人が住んだり商売を開いたりしていることに納得がいきますね。
次回は観光地・鴨川を抜けて、最後にどう桂川と合流するのかを追います。
皆さんも地形・歴史的観点から鴨川を歩いてみては?♡♡
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*参考文献*
このブログを読んで鴨川の歴史について深く知りたくなった方は、
是非お手に取ってみてください♪
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*目次をカスタマイズしました!*
今回記事に対応すべく、目次を入れてみました。
ただなぜか「目次」の文字を完全にセンター化できていないので、
CSSに詳しい方がいらしたら教えてください・・・泣いて喜びます。