未知の区間を歩きます、地図子です!
今回の鴨川を行くでは、
第1部は水源近くから上賀茂神社までをドライブし、
第3部では、観光地・鴨川を抜けた先が一体どうなっているのか?
鴨川の水が最後どこに流れ着くのか?
意外と考えたことがなかった区間について歩き、謎を解き明かしていきます。
観光地・京都の果て
エフィッシュさんで一休みして、五条大橋を出発です。
まだ京都駅は過ぎていないのですが、五条を過ぎると田舎感が漂い始めます。
この辺りは京都駅からサイクリングして観光地に向かうと気持ちがいいですね。
七条を過ぎると、素敵なデザインの塩小路橋の下をくぐります。
ここまでいくつか鴨川沿いの地図が置かれていたのですが、
塩小路橋の近くにあったこの位置案内を最後に、この先地図はありませんでした。
なぜ京都があたかもここで終わってしまうように書かれているのか?
その理由は・・・この辺りで東京では当たり前だったけど、
京都では起きていなかったことが起き始めるためです。
わっ!新幹線!
JRや近鉄奈良線も見れるようになり、鉄道ヲタクには最高な川に変身します。
そう、鴨川の上を電車が走るようになるのです。
このように新幹線や電車が通る=京都駅が鴨川の西に位置しているのです。
実は京都駅は1877年に開業しましたが、1914年に今の位置に移転したときに、
上賀茂神社で話題となった御土居堀跡が1番ホームの一部として利用されたようです。
御土居が洛中・洛外を分けていて、京都駅がちょうどその境界線にあたるのですね。
洛中は景観を守るために、地下鉄がメインという印象があります。
ここから先が、観光地にはあまり出てこない未知の鴨川です。
合流の嵐
地図を見ると、実は塩小路橋辺りから左岸に沿うように何かが流れています。
しばらく師団街道に挟まれて、何の流れか確認できなかったのですが、
京阪本線・近鉄奈良線の東福寺駅近くの九条通りで見てみると・・・
なんとこちら琵琶湖疏水なのです!
と思いましたが、琵琶湖疏水は南禅寺から高瀬川が始まる対岸にある夷川ダムを通り、
今回の塩小路橋までは鴨川の隣の川端通下を暗渠として通っていたのです。
ここで開渠となった後、最後は宇治川に放流されます。
まだゴールまで7kmほどあるのですが、人も少ないし、さすがに疲れてきたので、
蹴上インクラインを思い出して、
「イン・クライン、イン・クライン♪」と歌いながら自分を励まします。
(本当は英語にするとinclineと一続きの単語らしいです)
この辺りで地図子を見かけていたら、完全に狂った人だと思ったでしょう。
ここで左岸で東福寺の渓谷を流れる水が鴨川に合流してきたり・・・
高瀬川の上にマンションが建っているというのも面白いですね。
ただ地図子は気が付かなかったのです・・・
実はこの辺りの左岸で東高瀬川の源流が始まっていたことに・・・見たかった!
更に歩くと、京都市地下鉄烏丸線がこんなところまで走っていました。
ここが十条駅とくいな橋駅の間なのですが、二条近くでスタートして、
やっと十条まで辿り着いたと思うと感慨深いです。
少し東にはあの有名な伏見稲荷大社があるのですが、一瞬も目をくれません。
この後2kmほど高速道路と工場しかないようなところをひたすら歩きます。
もはや「イン・クライン、イン・クライン♪」と歌うのも疲れてきました。
ただ、京都の街がある北側は灰色の雲が覆っていたにも関わらず、
南に歩けば歩くほど青空が広がっていたのはとてもラッキーです。
2km歩いたところで地図上に気になる場所を発見します。
「鳥羽殿跡」と「鳥羽離宮跡公園」!
京都なので、郊外にもしっかり歴史が残されているんですね。
と思ったら・・・
鳥羽殿跡は発掘現場そのままのようなグラウンドだし、鳥羽離宮跡は公園でした。
この辺りを紹介している、歴史好きがハマりそうな鳥羽伏見マップも発見しましたが、
当時の鴨川は鳥羽離宮近辺を抉って、大きく湾のようになっています。
蛇行する鴨川の形跡
夕方になってきて少し肌寒くなってきたところで、鴨川の旅もラストスパート!
鴨川で最後である、京川橋に差し掛かりました。
京川橋を右岸へ渡ると川と川の間の中洲を歩けるので行ってみたい気もしたのですが、
この先には橋がないので戻るのに時間がかかると思い、諦めて左岸を歩きます。
左岸を歩いてみたら、まあ大変面白かった!
今まではずっと川の隣を歩いていたのですが、いつの間にか堤防に上がっていました。
そして川の反対側を覗くと、川と同じ低さの土地に畑や墓地が広がっています。
・・・ここ、川幅絶対もっと広かったでしょ!
けれど、鴨川が蛇行していて洪水がひどかったので、堤防を造り、
低い土地には人は住まず、畑や墓地として転用しているのでしょう。
そして反対岸の右岸を見ると、中洲に渡らなくて正解でした。
なぜなら、京川橋を過ぎてからの区間はどこも工事が入っているようです。
おそらく川沿いは歩けなかったでしょう。
堤防と鴨川の間にぽつんと3つの鳥羽の大石を発見しました。
京都への荷物は一度ここで荷揚げされていたようです。
1662年の地震で損壊した二条城を修復するための石が、
草津の湊近辺で水没したのを引き上げたのがこの鳥羽の大石だそうです。
今は静かな住宅街なので、この辺りが湊として賑わっていたことは想像がつきません。
ここで「鴨川改修」の看板を発見しました。
看板によると2003年の台風により、
先ほど見た堤防から水が入ってきて床下浸水などの被害が見られたため、
京川橋〜桂川合流地点の間で川幅を広げ、堤防を厚くしているようです。
京都の街中では砂防ダムや川床などが発達して自然らしさは軽減されていましたが、
下流では今でも鴨川の氾濫への対策を進めていることがよく分かりました。
それもそのはず、この辺りでは右岸から西高瀬川も合流してきます。
合流が激しいため、中洲には鳥羽水環境保全センター吉祥院支所が置かれています。
最後に京都の街を包み込むかのように、西側からきた桂川と合流します。
いつの間にか太陽も沈み、凍えるような寒さになっていました。
(この後、京都の街中に戻ると雪が降っていました・・・そりゃ寒いわけだ)
このまま流れていくと宇治川と合流し、最終的には淀川になって、
ここで鴨川を行くは完了です!
観光地・鴨川への憧れから調査し始めましたが、山・街中・川の合流区間と、
普通の観光客では見られないような鴨川の顔をたくさん見ることができました。
そして以前は「関東にも鴨川のように川沿いにカフェがあればいいのに〜」
と思っていましたが、御土居や寛文新堤のような堤防や埋立の歴史があるからこそ、
今の鴨川の眺めが楽しめるのですね。
あの人工で造った景色の中に、自然らしさを出せるのは京都ならではだと思います。
確かに関東にも川床が欲しい気持ちは拭い切れませんが、
人工的になりそうなので、自然を保つままでいいのかもしれません。
上流では関東ではお見かけできないような山道や熊出没注意看板を楽しめ、
下流では関東の川と同じように、
洪水と闘っている痕跡を垣間見ることができて親しみも湧きました。
ちなみに鴨川を歩くに要した時間ですが:
京都1日目の午後
→上流ドライブ(往復30km)&上賀茂神社から鴨川デルタまで散歩(4km)
京都2日目の午後
→鴨川デルタから桂川との合流地点まで散歩(13km)
だったので、鴨川であれば、
余裕を持って2泊3日の旅行で回ることができると思います!
(途中途中凍えそうになったので、やはり春か秋がいいかも)
最後にせっかくなので、京都でも古本屋さんに立ち寄ってみました!
するとレティシア書房さんで「かもがわご近所マップ」を発見したので購入♪
範囲は二条〜三条エリア限定ですが、可愛いので是非お手にとってみてください。
皆さんも鴨川という眼鏡を通して、京都を観光してみては?♡♡
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今までの「鴨川を行く」はこちらからどうぞ⭐︎