ふと思い立って、プチ冒険

私は鉄子ではなく、地図子です

ブラ地図子 -長崎 前編-

お盆休みは楽しまれましたか、地図子です。
地図子は久しぶりに九州に上陸してまいりました・・・台風とともに⭐︎
色々ハプニングがあったのですが、まずは晴れているこの街から探検します。

 

 

長崎に行ってまいりました!
実は長崎、ちょうど10年前に修学旅行で訪れたことがあります。(16歳!若い!)
そのときにぼーっと抱いていた疑問に、まさか10年後に取り組むことになるなんて。
長崎を探検して、16歳の地図子の卵に教えてあげねば!れっつごー!

 

 

 

 

高校生・地図子の卵の疑問を解き明かす

 

長崎といえば、皆さん何を思い出しますか?
夜景?グラバー園?中華街?
地図子が長崎と聞くと思い出すのはずばり、出島です。

 

出島は皆さんご存知、日本が江戸時代に鎖国していた際に、
国内唯一の国際拠点としてオランダ人など外国人の居住が許されていた人工島です。
歴史の教科書でも、一箇所だけ陸と繋がった扇型の島の絵がよく出てきますよね。

 

10年前に行ったときも一応社会科研修も兼ねていたのですが、まあみんなではしゃぐよね
地図子が出島に対して抱いたぼんやりとした疑問が:

 

「出島って島じゃなくない?」

 

前回来たときは出島からは海は見えず、
ぼんやりとした疑問を抱いたまま友達とわいわい中華街に行ったことを思い出しました。
今回「長崎といえば!」とその疑問を頭の片隅から掘り返して改めて見てみます。
出島の北にある中島川から見ると少し水辺っぽいですが・・・

 

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出島の中に入ると、中の風情ある街並みの奥に現代長崎がチラリズム
現在の地図で確認しても海が見えるような位置にはありません。

 

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が、しかし!
すっかり地図子となってしまった今の私には強烈な武器があるのです。
ぼんやり疑問を抱くだけだった高校生の地図子の卵に見せてあげたいのは、これ!

 

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3Dカシミールの今昔マップ+スーパー地形図@長崎です。
1900年の頃はまだ出島がほぼ海の隣にあったのがよく分かります。
明治時代に長崎駅がある付近が埋め立てられて、出島は海から遠ざかったんですね。
良かった、出島は島だった!歴史の教科書に載っていた出島の絵は本当だった!
当時読んでいた教科書にも書いてあったのかな・・・書いてあったらぼーっと読んでいたのがバレる

 

ブラタモリ長崎の本を手に持ったまま出島を出ようとすると、
出島の案内人のお兄さんから
タモリさんが発掘された古伊万里焼は見られましたか?」と声をかけられました。


「見てないです!」とお伝えすると、
「ちょっとブラタモリがお好きなのかなと思いまして」と道順を教えていただきます。
ブラタモリ本を持ちながら歩き回っている26歳・・・はい、相当ブラタモリ好きです。

 

タモリさんが発掘された古伊万里焼は旧石倉の1階の階段の側にありました。
今でもこんなに色が綺麗に残るものとはびっくりです。

 

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最後に出島の外に残る岸壁を探しに行きます。
西側の水門を出たところに残っているそうですが・・・え?これかな?


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この道路に残る微妙な跡が見えますでしょうか?
水門近くに2つ発見することができました。
出島まで来てここを観光する人・・・タモリさん愛に溢れていると言ってください。

 

ブラタモリのおかげで高校生の地図子の卵が抱いていた謎がクリアになりました。
やはり地図・地形目線で過去に訪れた場所を見直すのは素晴らしい〜!
ここからは3Dカシミールに映る、もう1つの地形と地名の面白さを体験しに行きます。

 

 

 

長崎の地名の由来を解き明かす

 

先ほどの3Dカシミールを見ると、出島の北の部分がうっすら黄色くなっています。
実は今でもこの万才町付近が微高地になっています。
長崎駅付近が埋め立てられる前はここが「長い岬」になっていたことが
なんと今回の「長崎」の地名の由来でした。
平らな出島からいっぺん、高低差の街「長崎」へぷらぷら入っていきます。

 

 

江戸町通りから県庁前交差点がある大通りへ登っていくと、
早速駐車場の奥に石垣がお出迎え!
ここが陸と海の境界線になっていたとか。浪漫があります。


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「長い岬」の上を歩いているとこのようなスイッチバックも現れます。
昔はここも境界線だったのかな〜新海誠監督作品の世界ですね。


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金屋町の方まで歩くと、低地が海の中だったときに船着場だった場所まで来ました。
階段の上から見下ろすと、あなたの心にも現れますか、海??
地図子の心には潮風がひゅるりと吹いていきます。


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そして電柱マニア必見!
旧船津町の地名があったことを唯一示している、電柱の表示です。
江戸時代の頃はここに多くの船が泊まっていたのですね。


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階段の下から見上げると、船から陸地を望む船乗りの気分になります。
階段を上る男性が低地の世界から異世界へ踏み入れているよう。
長崎版「天気の子」があったらここが田端駅南口になること間違いなしです。


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長崎は「出島」「長崎」「船津」など海との関係性をさりげなく残すコアな街でした。
長崎と港は切っても切り離せないのですね。
最後はそんな長崎の現代の海への入り口、長崎港から船に乗って・・・
 

 

おまけ:池島炭鉱ではなく軍艦島へ・・・

 

タモリさんと桑子アナが行った池島ではなく、軍艦島こと端島炭坑を目指しました!
途中には同じく目地日本の産業革命遺産として世界遺産に登録された、
小菅修船場跡も眺めることができます。

 

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そして30分ほど乗ると、軍艦島に到着しました!
さあ、集合住宅や炭鉱跡を間近で見たい・・・と思いきや。
この軍艦島、最近までアスベスト疑惑があって上陸が中止になっていたのですが、
地図子が行った数日前に安全の確認が取れて上陸ができるようになった!
と思ったらこの日は台風の影響で波が高く、結局上陸できず。
サマーブルーに輝く海に浮かぶ軍艦島を、この距離から拝むだけ。さようならあああ。

 

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そして軍艦島クルーズで地図子が持ち帰ったのは上陸の思い出ではなく、
2時間近くデッキの椅子で直射日光にさらされていたことによる、
膝にできた猛烈な出島型の日焼けなのでした⭐︎
今地図子に会うと膝が不健康に青黒いです。暴力の跡ではございません。

 

 

 

ブラ地図子@長崎はここまで!
前編では出島の謎、長崎の地名の由来が明らかになって、
歴史地理を勉強することの偉大さを体感することができました。
後編では坂の町、長崎をより楽しんでまいります!

皆さんも地名から長崎の街を楽しんでみませんか?♡♡

 

今週のお題「わたしと乗り物」