ふと思い立って、プチ冒険

私は鉄子ではなく、地図子です

ブラ地図子 -武蔵小杉編-

6月いかがお過ごしですか、地図子です。
嬉しいことに半年かけてまったり発売していた『国分寺崖線を歩く』ですが、
遂にZINE版が残り僅かとなってまいりました!
紙形式の地図を持って国分寺崖線を歩き回りたい!という方は是非♫

 

chizuchizuko.thebase.in

 

Kindle版は特に個数制限はありませんので、いつでもWelcomeでございます♡

 

国分寺崖線を歩く

国分寺崖線を歩く

 

 

 

 

そんな『国分寺崖線を歩く』の第1章多摩川・田園調布から見える、
念願のあの街を改めてブラ地図子してみたいと思います。それは・・・

 

武蔵小杉です!

 

実は武蔵小杉近辺は、地図子が幼い頃住んだ街で、
当時はタワーマンションは1棟もなく、南武線臭が漂う住宅街でした。
そのことを振り返って2年前にも記事を書いています。

 

それなのにブラタモリの放送を観ていたら、
知らなかったこと・以前からの謎が解決したことがたくさん!
地図子の幼い頃の記憶も辿りつつ、自分でルートを練って、
見慣れた武蔵小杉でも色々と再発見をしてみたいと思います。
れっつごー!

 

 

 

 

 

 

 

 

  

謎1:再開発で子どもの頃の思い出は全部消えたのか・・・?

 

冒険の始まりは、JR南武線東急東横線目黒線武蔵小杉駅(A地点)です。
JR横須賀線も通っているよ!というツッコミが入るかと思うのですが、
遠すぎてなかなかJR横須賀線の駅の改札から出る機会がありません・・・

 

まずはJR南武線東急東横線目黒線から見た南東側、
JR横須賀線との間のエリアに出てきました。(B地点)
ここでは小学2年生の子たちがキラキラした目でタモリさんに話しかけていましたが、
すっかり整備されていて、地図子の幼少期の記憶では辿れません。
こちら側にららテラス、グランツリー、foodiumなど巨大商業施設が並んでいて、
平成・令和の武蔵小杉の中心といった感じです。

 

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更に府中街道の方まで南下していくと、川を埋め立てた道と、
その名残で玄関が見つけづらいお家があります。
武蔵小杉周辺は昔二ヶ領用水が縦横無尽に引かれていましたが、
今はその多くが埋め立てられています。


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東急線の線路を越えて、南西側にやってきました。
南西側といえばこの「センターロード小杉」!ここは地図子の記憶にあります。
飲み屋が立ち並び、南武線臭が漂ってきました。
この日も飲み屋はまだオープンしてませんでしたが、喫煙者がたくさん。


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そして目の前の北口のビルや前方のイトーヨーカドー(C地点)は、
幼い地図子の武蔵小杉の記憶に焼き付けられています。
この写真を撮った後方にある聖マリアンナ病院にも入院したことがあって、
夜電車の音がする度に、「お父さんがこの電車に乗って帰っているかな・・・?」
と1人病室で想像していたな・・・(健気)


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あれあれ、振り返ると地図子の記憶がある南西側の風景はよく残っていますね。
なくなったのは以前の記事でも惜しんだ、中原図書館とその池のカメさんくらいかも。
逆に開発された南東側の記憶はそもそもありません・・・

 

それもそのはず、武蔵小杉が再開発された街だと言っても、
再開発されているのは主に南東側の工場地跡でした。
工場に用事はなかったので、そもそも南東側には思い出がありません。


そういうわけで地図子の武蔵小杉の思い出の場所は、まだ結構残っておりました。
このイトーヨーカドーもかなり古くなってきているので時間の問題な気もしますが、
南西側には法政大学や付属高校へ通じる商店街もあるので、
まだまだ昔の武蔵小杉の景色を楽しむことはできると思います。よかった!

 

 

 

謎2:昔の武蔵小杉駅はどこにあったのか・・・?

 

ブラタモリでは以前の武蔵小杉駅の位置には「グラウンド前駅」があり、
旧・武蔵小杉駅はもっと西側にあったと紹介されていました。
放送では旧駅の跡は訪れていませんでしたが、元武蔵小杉民としては気になるので、
高架をくぐって駅の北側へ。

 

北口といえばこの武蔵小杉タワープレイス。
地図子が幼かった頃は駅周辺で一番高かったビルですが、
今ではすっかりタワーマンションの中に埋もれています。


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古地図を頼りに旧・武蔵小杉駅を探すと、
南武沿線道路を小杉二丁目交差点まで進んだ辺りでしょうか。
これが名残なのかなと思えるプレハブ小屋を発見しました。(D地点)


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すぐ隣には今も中原区役所があって、
昭和くらいではこの付近が武蔵小杉の中心だったのかもしれません。
そこから中心は今の工場跡エリアへと、じわじわと東側に移ってきていますね。

 

平成・令和→昭和の中心と遡った後、最後は江戸時代の中心へ歩きます。

 

 

 

謎3:とどろきアリーナはなぜあんなに駅から遠いのか?

 

武蔵小杉駅から北方面を眺めると、道路が真っ直ぐに伸びています。
この辺りからタワーマンション群は途絶え、団地や社宅が増えてきます。
地図子が知っている、THE住宅街・武蔵小杉です。


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この道路の北端でこのようなクランクに辿り着きます。
Google Mapでルートを引いてもここを避けて引かれるくらい(実際は渡れます)
ほとんどの車が北から西、またはその逆に90°で曲がり、
ほとんど南北で真っ直ぐ進む車はありません。


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この北から西への流れが中原街道です。
武蔵小杉駅の隣が武蔵中原駅ですし、この辺りも川崎市中原区なので
すっかりこのエリアの地名なのかと思っていましたが、
中原街道の終点の平塚にある中原という地名が由来と知って驚き。
青梅街道の終点ではなく、途中に青梅という街を造ってしまったようなものです。


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なぜ中原街道がわざわざクランク型になっているのかというと、
実はここに徳川家の小杉御殿が設けられていたのです・・・!(E地点)
確かに多摩川ラバーであれば一度は気になる、武蔵御殿町や武蔵陣屋町の地名。
川崎市の武蔵小杉にしては高貴な名前を付けているなと思っていたのですが、
まさか本当に由緒正しき場所だったとは。見直しました、武蔵小杉。


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そのすぐお隣には西明寺(F地点)があり、とても風情があるお寺です。
地図子は少し時期が遅れてしまったのですが、境内の桜も綺麗そうでした。

 

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そもそもなぜ徳川家の御殿が中原街道の途中のあの位置に造られたのか?
実はそのすぐ裏が等々力アリーナ・等々力緑地なんですね。(G地点)

 

と言ってももちろん当時は川崎フロンターレの応援ができたわけではなく、
地図で改めて地形を見ると納得!
この辺りまで川が蛇行していたのです。

 

川崎市民であればおそらく一度は謎に思う、
「なぜ等々力アリーナは駅からあんなに離れたところに造られたのか?」
という疑問ですが、地形を活かした造りになっていることがよく分かりました。


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等々力緑地の中には今だに等々力釣池という形で水も残っています。
その池の水の先を辿っていくとポンプ場が現れ・・・


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その先は現在の多摩川の流路に通じていました。
この辺りも春は多摩川等々力土手桜並木として、
春は河津桜ソメイヨシノが咲いて、川崎市民の憩いの場になっています。

 

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最後は東急線が東京都に向かって越境しているところを眺めます。
この河原の景色が地図子にとっては一番落ち着きますね。
神奈川県なので多摩川台公園のような高台から見晴らせるスポットはないですが。


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今回のブラ地図子@武蔵小杉はここまでになります。
川崎を故郷とする地図子にとって一番嬉しかったのは、
再開発の街と思われがちな武蔵小杉にもしっかりと歴史があったことです。

 

江戸時代の中心が小杉御殿町付近、
そこから昭和の時代は南下して北西側に旧・武蔵小杉駅が建てられ、
そして今その中心は豊洲のときのように、工場跡を活かした東南側に移ってきました。
お屋敷→鉄道→工場跡を活かした土地、と
人と街の関係性の変遷を見ることができますね。

 

今回の内容はブラタモリだけではなく、
こちらの今尾恵介さんの書籍でも様々な街の中で1章説明がありました。
武蔵小杉の歴史の復習をされたい方は是非オススメです。

 

地図で読む昭和の日本:定点観測でたどる街の風景

地図で読む昭和の日本:定点観測でたどる街の風景

 

 

 

 

皆さんも現代都市・武蔵小杉の歴史的側面を散歩して見つけてみては?♡♡