今週末も3連休ですがいかがお過ごしですか、地図子です。
地図子は9月の3連休に、めちゃくちゃ推している国分寺崖線を巡ってい・・・
・・・たわけではなく、こちらに旅行しておりました。
じゃ〜ん!沖縄です!この青い海が見たかった〜!
というのも普段地図子は地図子活動とダンスに命を懸けているので、
毎週末そのことばかり猪突猛進!考えていたのですが、
ある日突然気付いてしまったのです。
「私最近全然遊んでいないな!^^」
というわけでノリで相方さんに飛行機のチケットをポチっていただき、
沖縄の海を3日間丸々満喫・・・
・・・するかと思いきや。
どこか遠くに行って地図子活動をしたくなくなるはずもなく、
1日目と2日目は海を満喫したものの、最後の3日目には・・・
もちろんやりますよね、ブラ地図子???
沖縄に旅行するのは2回目のため、
ひめゆりの塔や首里城など那覇の主要な歴史スポットは訪問済みなので、
かなりニッチな那覇をお届けします♪
オールド那覇から海を眺める
まずご紹介するのは、昭和以前に那覇が海運で栄えていたシンボルでもある、
「はじょうきゅう」と呼んでしまいましたが、本当は「なみのうえぐう」です。
当時の那覇は今の観光地近辺ではなく港の方が栄えていて、
ここでは古くから海上交通の安全が祈願されていました。
波上宮でお参りして、横の階段を下がると、そこには波の上ビーチ!
・・・で遊ぶわけではなく、波上宮の方を見上げると、
そこはしっかりと波食窪でした。
この辺りは以前は島だったので、目印の神社が建てられたそうです。
波上宮が海の中にぽつんと建っているところ、見てみたかったですね!
隣には護国寺、その奥には道教の神が祀られた天尊廟・天妃宮が残っています。
海中道路の痕跡を探る
さて、波上宮が海の中だったということは、昔は一体どの辺りまで海だったのか?
東京だと自然物が残っていることは少なく、坂や橋跡などがヒントの限界ですが、
那覇には自然物まで残っているらしいのです!
というわけで向かったのは、波上宮から東に2kmほどのところにある、
国際通りに出るために降りたことがある人も多いはず。
ゆいレールの隣にはこのもっさりした茂みがあります。
そしてその横には段差があり、石碑も建てられていました。
ここがまさしく海運で届けられたものを運ぶために、
島と島の間の浅瀬を繋げた海中道路です。別名、浮道や長虹堤とも呼ぶそう。
長虹堤とか名前のセンスが素敵ですね。後、長江を思い出して中国らしい。
ここにゆいレール沿いの久茂地川と並行に、1本ゆらゆらした道が残っています。
辿って行くと・・・
これも茂みなのか?
そしてこちらもブラタモリで紹介されていた茂みです!
先ほどの茂みとこの茂みの間が海中道路のようです。
確かに地図上で見ても、海中道路より南東は道の形がくねくね自由ですが、
北西の方は街割りが碁盤の目になっていて埋め立てられたことが想像できますね。
お馴染みのニュー那覇を違う角度から歩く
最後は皆さんも行ったことがあろう、ニュー那覇に向かいます。
オールドとニュー。沖縄を語るときに避けて通れないのが戦争の話。
最初に紹介した波上宮も戦争のときに鳥居を残してすべて燃えてしまったそうです。
また、本来琉球王国時代の貿易の拠点があったオールド那覇の地域は、
現在では米軍基地になってしまっていて、般ピー地図子は入れません。
戦争の後に、現在のニュー那覇が栄えたのはなぜなのか。
壺屋やちむん通りという古い通りがあります。
米軍から配給される食べ物を載せるお皿を
この地域で作り始めたのが戦後復興への一歩だったそうです。
そして壺屋やちむん通りと国際通りの間に、数え切れないほどの商店街があります。
この辺りの商店街がニュー那覇の戦後復興の鍵を握っているのですが、
実はガーブ川という川の上にあるとかないとか・・・
タモリさんが大好きな暗渠みたいですが、一体どうなっているんでしょう?
とここまで来たところで、
せっかく那覇に来たんだから、このガーブ川の正体知りたくありませんか・・・?
ねえ・・・どうします?
・・・歩きます?
人生一度きりですよ!YOLO!歩きます!
ブラ地図子のガーブ川関連のところは次回に続く♡♡