皆さん紅葉は楽しめていますか、地図子です。
2020年は桜をほとんど見に行けなかったので、紅葉が綺麗なことだけが救いです。
2021年はまた色々なところに動き回れる年に戻ってほしいですよね!
さて、念願の「多摩川を歩く」シリーズ!
前回は多摩川の最初の一滴を笠取山に登って見てきました。
そこから丹波山村の方を流れるのですが、そこは山の中の車道しかないので飛ばし、
多摩川は奥多摩湖から再開したいと思います。
山の中の急流を追っていると、突如現れる巨大な奥多摩湖。
その水面にも、周りにも見どころがたくさんあるのです!
奥多摩湖にまつわる歴史を感じながら、さあれっつごー!
浮橋で水面を楽しむ
さて、地図子はいつも水面を見て癒されるために川歩きをしているわけですが、
川の上流にはなかなか水面まで降りられるところがありませんし、
ましてやこの奥多摩湖に飛び込むわけにもいけません。
そんな奥多摩湖でも水面を近くに感じることができる場所があります!
そう、奥多摩湖に架かる橋・・・ではなく、浮橋です。
奥多摩湖には2つの浮橋があり、上流に留浦浮橋、少し下流に麦山浮橋があります。
どちらも結構揺れますが、武蔵の山々から流れた水を近くに感じることができます。
水面の近くで改めて奥多摩湖の雄大さを体感してみるのがオススメです!
近くには奥多摩湖にせり出している小河内神社もあるので、合わせて行くと良いです。
小河内ダムで一部と全体を考える
奥多摩湖をどんどん下流に下がっていきます。
奥多摩湖といえば、一番に思い浮かぶのが・・・小河内ダム!
ここまでの水をすべて堰き止めて、エメラルドグリーンな水面に変えています。
さて奥多摩湖は自然に水が溜まったわけではありません。
小河内ダムは大正の頃から大都市東京に水を供給する計画として構想が始まり、
1938年に着工されましたが、その後戦争で作業は中断しています。
実は地図子、先月閉店してしまった経堂の大河堂書店さんで、
奥多摩地域の1941年の古地図をゲットしていました!
この古地図ではまだ奥多摩湖周辺は1本の川だったことが分かります。
小河内ダムは945世帯の移転と工事における87名の犠牲のもと、1957年に完成。
村が奥多摩湖の水中に沈んでしまったご家族はどこに行ったかというと、
地図子がヒヤパさんの記事に参加させていただいた清里に移動されています。
この小河内ダムがないと今の大都市東京はないと思いますが、
自分の故郷が沈んだご家族や犠牲のことを思うと、水面への想いも少し変わりますね。
大雨が降ったときなどは、小河内ダムからのすごい落差を経て、
多摩川に大量の水が放流されていきます。
自然の雄大さもすごいですが、巨大ダムを造ろうと考えた人間もすごい。
水根駅で貨物が走っていた頃を想像する
さて、こんな山奥のダムを車に資材を積んで造っていたのかとそういうわけではなく、
奥多摩湖の近くには当時の貨物線の水根駅と線路の名残が存在しています!
東京都水道局小河内線は現在でも廃線ではなく、休止中という立場です。
奥多摩湖には実はもっと上流にも廃駅があります。
先ほどの麦山浮橋近くの、三頭山口駅という奥多摩湖ロープウェイの駅です。
(廃墟の世界では有名なそうなので、ヒヤパさんの記事をお借りします!ありがとうございます)
こちらは1962年に登山者の利用を狙って建てられたものの、
奥多摩湖に橋が架かったことで自動車で来る登山者が増えて、
1966年に既に営業を一時停止してそのまま今に至るとのことです。切ない・・・
今回の多摩川を歩く、はここまでになります!
現在の多摩川、そして東京を語る上で欠かせない奥多摩湖ですが、
大正〜昭和前期の方が100年後の今を見据えて、様々な犠牲を払いながら、
今私たちが家では水を飲めて、奥多摩湖付近の観光を楽しめているということですね。
私たちもちゃんと100年後を見据えることができているのでしょうか・・・?
(オリンピックとかしている場合なのかしら・・・?)
今回の奥多摩湖の写真は秋に撮っているので、
木々の赤黄色と水の緑青色のコントラストがとても美しいです。
一方で、春のフレッシュな奥多摩湖もオススメなので、下の多摩川桜百景も是非♪
そして奥多摩湖から奥多摩駅までの多摩川沿いは、実は既に歩いています!
ヒヤパさんと都県橋の移動が解除する前夜に訪れた、奥多摩むかしみちです。
奥多摩湖直前の山登りが本当に過酷でしたが、よく頑張りました・・・!
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