数々の選択を繰り返してきた、烏山川を歩くの後半編です。
前半編では右のA地点である北沢川と一緒に目黒川へ合流する地点から、
西へ西へE地点のじゃぶじゃぶ池まで歩いてきました。
ここからは3Dカシミールの1965-68年の地図に描かれているうっすら青い線を辿り、
水源らしき場所まで残りの川跡を辿ります。
Google Mapが一部緑道を認識していない部分もありますが、ご了承ください。
「E地点からルートが二手に分かれている!?」という疑問はお持ちのまま
読み進めていただけると嬉しいです。れっつごー!
第六の選択:マンションの左を行くか、右を行くか
さて、前半編の最後では、地図子は第五の選択を迫られていました。
それは3Dカシミールを見ると、
烏山川がじゃぶじゃぶ池付近で二手に分かれているということ。
地図では左の川が烏山川だと言っていますが、
地形を楽しむ東京「暗渠」散歩 では右の川を追っていました。
地図子がどちらを選んだかというと・・・
奥に暗渠跡のような小道があった右の川です。
これはもう少し川跡を追えるかも、もう少し、もう少し・・・
と念じながら歩きます。が・・・
あっという間に環状8号線に合流してしまいました。
かろうじて歩道にちょっとした荒地が残っているので、ここを追います。
環状8号線の荒地を追っていると、1965-68年の地図では川が道路を越えています。
ちょうど歩道橋(F地点)があったので上から眺めてみると、
右側の車止めから環状8号線を越え、左側のオレンジの柵の奥の道に続くようです。
渡った先には烏山川ふれあい散歩道の看板がありました。
「世界につづく文化の道よ」だそうです。
世田谷区立芦花小学校・中学校の裏にある暗渠道を過ぎると分かれ道に当たりました。
さあ、あなたはどっちを行きますか・・・?
正解はどちらの道も烏山川です。
烏山川はこの辺りで合流や分岐を繰り返していて、
上の写真や下の写真のマンションは流れのど真ん中に建てられたようです。
どちらの道を行っても正解な理由はもう1つあります・・・
第七の選択:京王線をどう越える?
その理由というのは、どちらの流れに沿っても京王線が越えられないということです。
京王線の奥に続く流れも、途中で切れてしまう支流も、
線路の南側までは綺麗に追うことができるのですが、線路に寸断されてしまいます。
とほほ・・・
仕方がないので、少し西にずれて烏山神社の前の道から線路を越えることとします。
京王線沿いから甲州街道までの間は流れに沿ってマンションが建っているため、
歩いて通ることはできません。
甲州街道で振り返ってみると、川跡のスペースが確保されていました。
甲州街道から先はうねうねした川跡のような道、
そして隣に謎のスペースを残す広い道路を歩いていくことができます。
謎のスペースの一部は駐車場としても転用されていました。
ただ、1965-68年の地図と比較すると少し右に逸れていてバチっとはまらず、
なんとなくモヤモヤします。
烏山北住宅の隣の公園を西向きに左折してどんどん歩いていくと・・・
第八の選択:水が流れていた頃の話を聞くか、聞かないか
「あっ!」思わず声を上げてしまいました。
というのも烏山北住宅の西の道がぴったり1965-68年地図の川跡とハマったからです。
こんなに広い道路なのに、しっかり車止めまで残されています。
川跡はそのまま小道になるのですが、ここが本当に素敵。
秘密の花園 ならぬ、秘密の暗渠道です。
紆余曲折があったけど、ここまで頑張って歩いてきて良かったと思わせてくれます。
「あっ!」二度目に声を上げてしまったのはこちら。
先ほどの秘密の小道の先は柵が建てられて入ることができませんでした。
でもあまりに立派な暗渠道だったのです。
写真に収めねば!という想いで一杯だったのですが、住民の方がいらっしゃいます。
さあ、あなたはどうする???
と思っていたら「どうかしましたか?」と声を掛けていただきました。
写真を撮っていいかお聞きすると、快く承諾していただき、ワクワクが止まりません。
ニコニコで写真を撮ると「ここは何が価値があるのですか?」とのご質問が。
そりゃそうです、端から見れば砂利道の写真を撮っている、
よく分からない小娘でございました。
「えーと、ここが川跡で、その跡をずっと辿ってきました」とお伝えすると、
オリンピックの頃は水が流れていたのに後に埋め立てられてしまったとのこと!
今まで辿ってきた地図の情報とも合致します。
こんなブラタモリ体験ができて感激です!暗渠って素敵!ありがとうございます!
写真は撮らせていただいたもののこの道には入れなかったので、
ぐるっと一周して水源の烏山弁天池がある高源院(I地点)に到着です。
この烏山弁天池も東京の名湧水57選の1つなのですが、
じゃぶじゃぶ池同様かいぼりをしているのでは?というくらい干上がっています。
小道の方面も見てみましたが、水路は見つけられませんでした。でもとても満足!
10時前から歩き始めてもう15時半!
今回の烏山川を歩く、は無事にここで終了になります。
・・・でいいのか、地図子よ??
あなたはじゃぶじゃぶ池で右の川跡を辿るという重大な決断を下しましたが、
人生選択するだけではなくて、たまには欲張ることも必要ですよね?
仕事も家庭も両立させたいという人もいるし、
ハンバーグとカレーどっちも食べたいという日もあるし、
A子ちゃんからもB子ちゃんからも好かれたいという男の子だっています!
地図子も欲張って、右の川跡も左の川跡も辿りたい!
この日最後の力を振り絞って、850m西へ移動します。
この日最大の選択:もう1つの川跡を辿る?
さあ、左の川跡は1965-68年地図を見ると、
三鷹台団地南口交差点付近から始まっているようです。
そこからじゃぶじゃぶ池に戻るまで4kmほどありそうだし、
右の川跡も高源院まで茨の道だったから更に時間がかかりそうだし、
そもそもこの古い地図にぴったり合うような始まりがあるかも分からないし・・・
と覚悟を決めかねていると・・・
ふわっ!?
今回の烏山川を歩くで一番驚いた瞬間です。
1965-68年地図の川跡ドンピシャの場所にドンピシャの入口(A地点)があったのです。
でも「中川遊歩道」?私が歩いていたのは烏山川では?
脳内がカオスです。それでも道があれば真っ直ぐ歩いていくしない、私は地図子です。
歩いていると、なんだか世田谷区とは思えないのどかな風景になってきましたが、
住所を見ると、「北野」?ここはいったいどこ?
先ほどの右の川跡は世田谷区を右端から左端まで横断していましたが、
左の川跡は三鷹市北野に突入していたのです。
実はこの辺り 地図子、玉川上水を歩く -9 三鷹駅から暗渠化地点まで- で
玉川上水が暗渠化した区間のとても近くで、三鷹市牟礼もすぐそこです。
玉川上水から烏山用水や牟礼用水を伝って烏山川にも分水していたようです。
中川遊歩道がいつ終わるのかとハラハラしながらずんずん歩きますが、
誰かの庭のような家の裏の小道や、数々の車止めを越え・・・
さすがに中央自動車道で途切れた・・・と思われたのですが、なんとなんと。
遊歩道の続きがあります。
脇に看板があったので、読んでみると:
現在は自転車歩行者道に整備されたこの川は、古来より水無川と呼ばれ、旧烏山村と旧給田村の境を概ね南東方向に流れ下り、旧粕谷村を経て旧船橋村に入ると、現在の千歳清掃工場付近で高源院(北烏山四丁目)鴨池等を水源とする本来の烏山川(本流)に合流していました。
ほ〜!右の川跡を行ったのは本流を遡るという意味で正しかったのです。
もう少し続きが気になりました。
この区間は、河川法上の名称は烏山川ですが、もともと烏山川(本流)とは別の支川であり、今も地元では水無川と愛称されています。・・・時は下り、昭和39年河川法改正の際、水無川は「2級河川烏山川」(世田谷区北烏山〜池尻)の一部として公示されました。この時より、河川行政上は水無川の名が消えて烏山川と公称される一方、合流点以北の本来の烏山川(本流)は、無名の普通の河川になるという捻れが生じることになりました。昭和50年代以降、下水道整備が急速に進捗する中で、水無川の姿は暗渠へと大きく変貌し、かつて水無川という名の川であったことを知らない人も増えてきました。
なるほど〜だから左の川跡が1965-68年の地図では烏川と記されていたのですね!
中川・水無川は烏山川と勘違いされ、
烏山川(本流)は名無しの川になり、跡も途切れ途切れとなり、
どちらも切ない歴史を辿ったわけです。
やはり下水道化された時期に烏山川本流だと思われていたからか、
中川・水無川の方がほとんど遊歩道が整備されていて、丁寧な造りです。
遂に行き止まった!と思っても・・・
右に曲がったら遊歩道が続いていて一安心。
甲州街道を越える歩道橋(D地点)から見てもしっかり遊歩道。
駐輪場になっていてさすがに通り抜けるのは無理かもしれない!と思っても・・・
京王線千歳烏山駅のホームギリギリ(E地点)まで通り抜けることができました。
京王線の反対側では一部工事中だったのですが・・・
次のブロックからまた遊歩道が続いています。
周りの道は車の交通量が多い中、この遊歩道はとても歩行者フレンドリーです。
世田谷区立粕谷図書館(F地点)を過ぎたところから遊歩道はなくなるのですが、
そこからは車道がしっかり川跡の形のまま残っています。
工事中の蘆花恒春園の入口の前を、水の気持ちになってカーブして・・・
東京ガスの真横を歩きます。
すれ違うカップルが「ここで誰かが放火したら大爆発じゃん」と怖い話をしています。
千歳台交差点を渡ったらもう水無川の痕跡は見られないか・・・
・・・と、歩道橋を越えたら、そこはまた烏山川緑道だった。
そしてじゃぶじゃぶ池の隣の希望丘公園(G地点)まで戻ってきた、ということです。
時間はほぼ17時。夕日が射してきていました。
ここで本当の本当に烏山川を歩く、は終わりになります!
この日は10時前から17時まで38,000歩ほど歩き、身体がバキバキです。
今回の烏山川は以前の蛇崩川や谷田川・藍染川に比べると上級ですが、
3Dカシミールをダウンロードしていると、1965-68年の地図と見比べて、
探偵のように追うことができるのでとても楽しい暗渠道でした。
足がもげるかと思ったけど、本流だけではなく中川・水無川も歩いて、
烏山川の暗渠化の歴史を全体的に追うことができて良かったです。
皆さんにもこの散歩の中でたくさん「選択」をしていただき、時には欲張り、
楽しい旅を体験していただけていると嬉しいです!
目黒川3大兄妹のラストはあの川・・・!もう少しシンプルだといいな・・・
皆さんも烏山川沿いを歩いて、自分のルートを選択してみては?♡♡
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