皆さんこんばんは、地図子です!
3連休はいかがお過ごしでしたでしょうか?
本格的に春が訪れたような風でしたね~♪
来週はそろそろ桜が咲いてくるのではないでしょうか?
今からわくわくです(^O^)
さあ、本日は神田川で最も文化色華々しい区間を行きたいと思います!
神田川を歩く目的は以下の3つですが:
文京区境から飯田橋駅付近の外堀合流地点までの3.2kmをレッツゴー!
さて、今回の文化的区間を6つに分けると・・・
①新江戸川公園
まずはこちら、新江戸川公園です!
公園とついていますが、入ってみると立派な建物と庭園が・・・
実はこちら!江戸時代に肥後熊本細川家の下屋敷でした。
隣の和敬塾、永青文庫合わせてすべて細川家の土地だそうなので、広大です。
新江戸川公園の特徴としては、色々な角度からの眺めが楽しめる、
回遊式庭園だということです。
和敬塾の方から、台地の湧水が流れ出ています。
この湧水を利用して、ししおどしや水琴窟が設置されています。粋ですね~。
松聲閣という建物ではお茶しながらゆっくりするのもいいですよ♪
②水神社
新江戸川公園の隣には、水神社があります。
こちら鳥居とともに2本の巨大ないちょうの木が神田川を見下ろしています。
夏や秋の葉っぱがついている時期に来ると圧巻です。
水神社を見ていると、江戸時代にタイムスリップしたような不思議な気分になります。
水神社で江戸時代にタイムスリップした女の子の物語を書いてみたいですね!
また、水神社の隣には、胸突坂という急な坂があります。
胸突坂を見ていると、このあたりは明らかに台地ですね。
雪のときなどは、この坂を下りたくないです・・・
山寺のときのように滑るしかない!(笑)
また、このあたりをうろちょろしていると、なんと・・・
カメさんが歩いています!!
このカメさん、りくちゃんというそうで、地図子とほぼ同い年!
おじいさんとゆっくりこのあたりを散歩しているのですが、実はYouTuberです(笑)
後ろ足の赤い靴がチャームポイントです☆
③芭蕉庵
胸突坂に挟まれた、水神社の隣には、芭蕉庵が立っています。
こんな住宅街の中に、急に松尾芭蕉が出てくるとは驚き!山寺以来のご縁です。
松尾芭蕉はこの台地からの眺めを気に入ったらしく、庵を立てました。
お庭の中には松尾芭蕉の俳句の記念碑も立っています。
意外や意外、松尾芭蕉は出身地柄治水にも詳しかったそうで、
神田川の堰建設にも携わったとのことです。
水神社でタイムワープした女の子が、松尾芭蕉に会う。いい感じですね~!
現在ではこの芭蕉庵自体「東京の名湧水57選」の1つに認定されているとか。
この区間の中で現代人が最も知っている場所に出てきます。
そちらが・・・
④椿山荘
どーん!ホテル椿山荘東京です!
今では結婚式場として有名な日本有数のホテルですが、
こちらは昔から椿が咲き乱れる山として有名だったところを、
明治時代に山縣有朋がこの地形をたいそう気に入って、
私財を投じてこの地を買い、庭園を造りました。
庭園の中には湧水があり、池に流れ込んでいます。
また、五丈滝のほか(五丈滝は裏側に回り込むことができます)、
渓谷まで庭園内にあり、水の流れをとても重視した造りになっています。
3月のこの時期でも様々な品種の桜や椿が既に咲いていて、本当に綺麗です。
女の子、このお屋敷の椿姫と出会う!というのも一興。
松尾芭蕉が景色を好んで庵を立てていて、
山縣有朋が私財を投じてまで水の流れを活かした名庭園を造っています。
このあたりが文化的なのは偶然なのでしょうか?
それとも何か意味があるのでしょうか・・・?
その答えはというと、
ここは武蔵野台地の南向きの際で、魅力的な地形だったということです。
前回に引き続き、tokyorent.jpさんの文京区の地形図を拝借するとよく分かります。
南向きの台地の際があり、
谷が深く、また反対の早稲田側の台地の方が低いため、
江戸時代から明治時代にかけてはこのあたりが江戸城近辺で
最も見晴も日当たりも素晴らしかったのではないでしょうか?
特に椿山荘のところは台地の中でもくぼんでいるため、
水がより流れやすかったようです。
現在は見下ろしてもビルばかりですが、
江戸時代は神田川や早稲田側の田園(名前は裏切らない!)、
更には富士山や、下手すると東京湾が臨めたと考えるとロマンが止まりません。
く~物語を書きたくなります!
(低い左岸が早稲田側、高い右岸が椿山荘側です)
⑤ 大滝橋
散歩に戻ると、椿山荘の目の前には大滝橋という橋があります。
こちらは元来神田川をせき止める大洗堰があり、看板が多く立っています。
大洗堰の建設が完了して神田や日本橋方面に水を流せるようになり、
その後は江戸の人々が神田川沿いで花見を楽しんだ絵や話まで伝わっています。
ここまで歴史が遡ると美化されるのですね。
上流の方の洪水の歴史も必要な形で記録されることを願います。
地図子物語もテーマはやはり江戸の治水になりそうです。
⑥江戸川公園
文化的区間の最終スポットは、江戸川公園になります。
こちらは新江戸川公園とは異なり、遊具がある本当の公園です。
通常は江戸川橋駅で降りて、
江戸川公園側からこのあたりを散歩することを想定しているのか、
江戸川公園にはこの区間の歴史をまとめた看板が多く設置されています。
また、神田川を見ると暗渠が2つも確認できるのですが、
現代でも神田や日本橋方面に水が流れていると思われます。
やっと江戸川公園の東端、江戸川橋に到着しました。
江戸川橋という橋、そして有楽町線江戸川橋駅は、先ほど言及したように、
江戸時代の頃この区間が江戸川と呼ばれていた頃の名残です。
現代では江戸川と江戸川区がかなり東の別の場所にあるので要注意☆
ちなみに第1章で地図子が秋に神田川ツアーに参加したのは今回の第4章の区間です。
文京区がちょうど関口近辺の観光ガイドを開催しています。
また、外国籍の方向けの江戸文化ツアーをM&P Japanが企画しています。
詳細の説明を受けてみたい方は、是非ご活用ください♪
文京区→文京区 文京区観光ガイド
M&P Japan→edoculture
tokyorent.jpさんの地形図でも確認すると、
ここだけが台地と台地の間の谷になっています。
護国寺も地形的に考えられた場所に建てられていますね~!
この辺を自転車で回られたい方、上手く谷を利用しないと
台地を登ることになって転げ落ちそうになるためお気を付けください☆
さあ、番号を振る文化的区間はもう終わり。
ここで時間を確認すると、何と16:30前!!!
小滝橋から江戸川橋駅まで7km弱を5時間で歩いたことになるため、
時速1.4km(笑)計画性のなさ(笑)
このままだと一生6km先の隅田川合流地点まで辿り着けない!!!
こちらから神田川、地図子が当初イメージとして持っていた、
高速道路下の区間に入ります。
む~、大手町や日本橋近辺などもそうですが、
川の前上が高速道路にブロックされているのは地図子的に本当に粋でないです。
ただ、文京区は頑張って地名や橋の名前の由来の看板を掲げてくださっていて、
感謝感謝です。
途中神田川が90°南向きに曲がるところは大曲という地名になっています。
少し神田川沿いを歩きづらくなりますが、文京区の地名看板は健在です。
そして、最後!
JR総武線・東西線・有楽町線・南北線・大江戸線を擁する飯田橋駅に到着です!
飯田橋駅近くでは、道が星のように五差路になっているため、
どのように神田川沿いを歩くか模索が必要です。
歩道橋を上って見下ろすと意外と見えます、外堀との合流地点!
ここまでで第4章3.2kmの旅は終了になります。
文化的区間で見た通り、神田川の北側には武蔵野台地の際があり、
江戸城近辺で最も見晴・日当たりが良い場所で
どんどん大名屋敷や庭園が造られていきました。
また、江戸時代の神田川の氾濫は大洗堰によってせき止められ、
江戸時代の人々はその後神田川沿いの桜の眺めを楽しんだそうです。
まだほとんど建物がなく、
桜と川と田園に囲まれた神田川にタイムワープするのも楽しそうですね!
次回はようやく最終章、外堀合流地点から隅田川との合流地点です。
地図子、無事に看板が読めなくなる日没までに到着できるのでしょうか・・・?
皆さんも是非神田川沿いの歴史や地形をお楽しみください♡♡
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☆アドバイスお願いします☆
はてなブログで書かれている他の皆さんは
見出し(章立て)をどのように埋め込まれているのでしょうか?
自分でもググって見つけたサイトのとおりにコードを書いてみたのですが、
思ったように見出しが作成できません・・・
読者の方が読みやすくなるように、箱状の見出しを入れたいと考えています。
見出し(章立て)を利用していらっしゃる方、アドバイスをいただけると
とてもとても嬉しいです!よろしくお願いします。