皆さんこんばんは、地図子です!
地図子は3月末のあることに向けて、絶賛準備中!
来週のブログではお伝えできるかと思うので、是非読んでください♪
今回は谷端川・小石川、弦巻川に続いて、冬の暗渠さんぽ第3弾です。
その暗渠は・・・蟹川です!
蟹川とは新宿区を横断して流れていた川で、昭和初期に埋め立てられたそうです。
大久保が大きい「窪」と名付けられたのも蟹川が由来とか!
今回は楽しみにしていることがあるので、蟹川の流れとともに新宿横断の旅へ、れっつごー!
第一の江戸川橋の河口
今回の蟹川を歩くも有楽町線の江戸川橋駅からスタートです!
今まで水窪川も弦巻川も江戸川橋周辺で合流していて、この辺りは暗渠の宝庫です。
神田川がカーブする大曲には白鳥池があったそうですし、昔はかなり水が溜まっていたのかも。
ただ、蟹川について1つ異なるのは、河口が見つけられないことです。
暗渠化されてからかなり時間が経っているので、今は推定することしかできません。
蟹川は北向きに流れているので、地図子は南下します。
まず辿り着くのが江戸川橋駅近くの地蔵通り商店街です。
以前ここを歩いたときに謎の空白や砂利道が気になっていたのですが、蟹川の仕業だったのですね。
B地点の謎の空白の六叉路のうち、一番細い砂利道が蟹川の支流でした。
この水路敷にひっそりと井戸ポンプを発見です。
個人的に井戸ポンプは暗渠の支流に多いという仮説を持っているのですが、この子も該当しますね。
市谷柳町の窪地
江戸川橋通りを渡り、広々とした早大通りの一本北を歩いていきます。
東京都立新宿山吹高校の隣の道は少し高く、川は高校の中を通っていたのだと思います。
この後外苑東通りにぶつかるのですが、ここで支流へ寄り道。
外苑東通りは工事が多くあまり暗渠の面影はないのですが、水源部に向かうと・・・
水源部だけ崖に囲まれた窪地が残っていて、なんとC地点のido bistroがあります。
これは井戸ポンプマニアとしては絶対行かないといけないですよね!?!?
隣の緑の井戸ポンプもかわいいし、ロゴもかわいいので、ランチに立ち寄らせていただきました。
サラダも新鮮で、この日食べたキーマカレーもとても美味しかったです♡
ロゴがかわいすぎて、レシートに載っていたものを切って日記に貼り付けました♪
お店でこの辺りにはもっと井戸ポンプがあると聞いたので、窪地を一周します。
そうするとやはり出てくる、出てくる!
ここでも暗渠の支流は井戸ポンプが多い仮説が補強されました。
第二の早稲田の河口
腹ごしらえも終わったところで、続きを歩きます。
蟹川には複数河口があったと言われ、もう1つが早稲田の首都高速の出入口辺りになります。
こちらも河口らしさは特に残っていませんでした。
このまま早稲田大学の前も通るのですが、不思議なドラード早稲田も蟹川の前だったとは・・・
しかもなぜかこの日は早稲田大学周辺は警察がいっぱいでした。
入試試験ってこんなに厳重に行われていたっけ・・・?
と思ったのですが、どうやら建国記念日のデモを警戒して配置されているようです。
ここから蟹川は早稲田中学校・高等学校の敷地内を横切るそうです。
(Google Mapのルートとしては横切らせることができないのでご了承ください)
出身の知り合いがいるけれど、お願いしたら蟹川を見ることができるのでしょうか・・・?
東西線早稲田駅の穴八幡宮の前(E地点)も通ります。
ここは『ふと思い立って、プチ冒険』で神田川の神から色々聞いた場所なので、懐かしいです。
穴八幡宮から高田馬場に走っていた時代は、蟹川が流れていた可能性が高いですよね・・・!
馬場下町交差点で諏訪通りを上がりたくなるのですが、その一本南の小道を歩きます。
ここが早稲田大学裏の暗渠で、川らしい雰囲気が今でも残っています。
残念ながら小道の先は行き止まりで、結局諏訪通りに戻らないといけません。
諏訪通りは高いところを通っているのですが、行き止まりの先の学生会館は低いところにあり、蟹川があったところに建物が建てられているようです。
学生会館の先は・・・戸山公園です!
ここも何度か時間を潰していたことがあったのですが、全然気づかなかった・・・
よく見ると公園の中に流れを模したせせらぎ広場やじゃぶじゃぶ池まであります。
蟹川は山手線内で一番高い、箱根山の麓(F地点)も流れます。
ここから更に戸山団地の中も通るのですが、具体的な流路は分かりませんでした。
ただ、戸山団地もかなりの窪地にあり、「大久保」という意味を感じることができます。
水源エリアの新宿へ
戸山公園の南側の大久保通りが高くなっていて、渡るといつの間にか住所が新宿区新宿です。
副都心線と大江戸線の東新宿駅もすぐそば!
ここには蟹川名物の朽ち果てた井戸があります。
ポンプ自体はほぼ横に傾いていますが、中を見ると微かに水を見ることができます。
この後は文化センター通りで都電の線路跡と合流します。
一時期その先の四季の路が暗渠かと思っていたのですが、こちらは都電の線路跡。
蟹川は線路跡とは分かれて、西の歌舞伎町へ向かう花道通りになります。
花道通りは最後、西武新宿駅があるPePeの前に出てきました!
ここからはほぼ痕跡は残っていませんが、駅を迂回して西口に出ることにします。
新宿東口の高層ビル街のこの辺りが、蟹川の水源地と言われています。
高層ビル街になる前に淀橋浄水場が整備されましたが、その前であれば水源の痕跡は残っていたのでしょうか?
渋谷も新宿も池袋も、水に深い関わりがある窪地が大ターミナルになっていて、面白いような寂しいような・・・
今回の蟹川を歩く、はここまでになります!
蟹川は新宿区を横断すること、そして井戸ポンプの宝庫であることと、地図子の偏愛が詰まっていました。
川の痕跡を見つけるのは難しいですが、今でもよく使う道が元々蟹川だったと感じることができますね。
今回も本田創さんの本を参考にさせていただきました。
ありがとうございました!
皆さんも蟹川を歩いて、新宿区の風景新旧を味わってみては?♡♡