毎日暑いですね、地図子です!
今年は春も夏も早く来て、この後の季節はどうなるのでしょうか。
地球の季節がズレていったら、1月生まれの地図子も春生まれくらいになる・・・?
今回は残堀川を歩くの最終回です!
前回昭和記念公園を通り、西武拝島線武蔵砂川駅まで到達しました。
今回は武蔵村山市を中心に歩いて、ゴールの狭山池公園を目指します。
という感じでしょうか。
自然らしさと住宅街の合間の世界でした!
旧水路をチラ見
今回は西武拝島線の武蔵砂川駅から玉川上水との交差に出ます・・・
とその前に、ちょっと確認したいことが!
ありました、ありました!
残堀川は駅から西に600mほど行ったところにあるのですが、
逆の東に600mほど行くと、畑のど真ん中に残堀川旧水路跡の看板が建っています。
残堀川沿いの地図にも載っていましたが、旧水路と現水路はかなりズレていますね。
看板がないと旧水路だということは分からないです・・・とりあえず信じる。
1.2km西に戻って、玉川上水との交差点から残堀川ウォーキング再開です。
6月に入り前日が雨だったため、残堀川でも意外と水が溜まっています。
武蔵村山市を歩く
しばらく歩くと残堀川は大きい多摩大橋通りの隣を流れるようになり、
左岸には空き地があるのですが、ここに本来の流れとの分かれ道があるようです。
右岸には緑地がいくつかあるのですが、名前ほど緑では・・・ないです。
この自然でもなく、人工物にもなりきれていない感じが絶妙な合間です。
そんな地図子は武蔵村山の中心であろう、いおんモールむさし村山でご飯です。
お腹も満たされたところで歩いて行くと、新残堀橋辺りに残堀神明社がありました。
よく見るとここの住所も武蔵村山市残堀で、残堀川の名残を感じます。
残堀川の魔法なのか、この辺りで2度も道を聞かれたのですが、
地図子も武蔵村山市初上陸で答えられません。
この武蔵村山市残堀では残堀川にも変化が!
初めて残堀川に降りられるような広場を発見しました。
草がもっさり生えて大海のようだったので水を近くで見ることは断念しましたが、
残堀川という名前の由来について書かれた石碑がありました。
ちなみに砂川という地名も
「水量が少なく川底が見える」
「昔から大雨のたびに氾濫する暴れ川で、洪水のたびに大量の土砂が堆積した」
と残堀川が由来になっているそうです。
ここで久しぶりに開渠を発見しました!
山王森公園付近で水が残堀川にさらさらと流れ込んでいました。
また緑が少ない緑地がたくさん出てきたのですが、
富士塚親水広場の富士山の絵が・・・素朴すぎて可愛い(笑)
源流までのカウントダウン
ここで遂にゴールまでのカウントダウンが始まりました!
源流から1.8km!これは残り頑張るしかない。
親切な看板が現れたこの表橋付近でも水が流れ込んでいました。
ここで残堀川沿いにも六道山公園への案内板が出てきました。
残堀川を上流に向かって歩くと、ずっと狭山丘陵が見えるのでのどかです。
この辺りの水の流れも狭山丘陵から流れているようです。
源流まで500mほどになったところで橋跡の看板がありました。
現在の流路より少しズレたところにあります。
カワセミがトレードマークの中宿橋でもまた水が流れ込んでいました。
お堀の雰囲気が徐々に素敵になってきます。
そして狭山池公園
もうゴールは目の前!残堀川狭山トンネルをくぐります。
トンネルの先は・・・緑の世界でした。
でもその奥に残堀川の始まりが確認できますね!
ふ〜!やっと残堀川の源流、狭山池公園にやってきました!
弁財天や、残堀川の名前の由来の蛇喰次右衛門像も見て回ることができます。
実は狭山池始め、狭山丘陵からの流水の現象も、
残堀川に水が極端に少ないことに関係しているようです。
最初は多摩モノレール柴崎体育館駅だったことを思い出すと、遠くまで来ました。
残堀川を歩く、いかがでしょうか?
今までのようにあまり自然な川ではなく、何度も流路の付け替えがあったことで、
水が少なかったり大滝があったりかなり特徴的な川でした。
上流では残堀の名前の由来や過去の姿についてひっそり伝え残されていましたね。
時代に合わせて変化し続けてきた苦労人かもしれません。
そして何と言っても昭和記念公園でさりげなくご縁があった方も多いはず。
次行かれるときは思い出してちょっと覗いてみてください。
皆さんも歴史だらけの水がない川を楽しんでみては?♡♡
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ここまでの残堀川シリーズはこちら: