エジプトの思い出といえばチップを取られまくっていた思い出しかないのだが、
そのことを日本人の友達に話すと「なんでそんなところに行きたいの?」と聞かれる。
私自身暗算が致命的に遅いので、チップなんて払いたくない。
しかし、事前にこの本を読んでチップに対する意識を変えてから行けて良かった。
著者の高野秀行さんはソマリランドを取材するために大量のチップを払う。
実はソマリランドは中央政府が機能しなくても平気なくらい平和な国だが、
その平和は野放しなのではなく、氏族が管理しているのだ。
氏族に守ってもらわないとハズレものとしてすぐ目をつけられてしまうので、
高野さんは一緒に行動をともにする氏族に報酬とチップを払っている。
今回エジプトに行ったときもガイドさんがついてくれたが、
モロッコのときと比べるとお金回りが大変だった。(モロッコ、ラブです)
まずメインのガイドさん以外にアシスタント、ドライバー、
ホテルのよく分からない人が大量にいて、それぞれにチップを渡さないといけない。
すべてガイドさんがやってくれたモロッコに比べると、(それが異常事態かも)
ものすごいスピードで毎日金が飛んでいく。
小銭がないから絶対自分たちでスーツケースを部屋に持って行こうと決めた側から、
スーツケースを奪い取られ、勝手に薄汚い部屋にあげられ、
向こうからチップを要求されたときは「あああ!」と心の中で発狂した。
極め付けはガイドさん本人だ。
肝っ玉母ちゃんのように怪しい男性たちを払い除けてくれるのはいいのだけれど、
カフェではガイドさんのお茶とシーシャは当然のように私たちにつけられているし、
裏で提携している金のお店でネックレスを買わないと、次の日の態度に露骨に表れる。
勝手にスーツケースを持って上がるおっさんに、なぜチップを払わないといけないの?
日本の常識ではありえないけど、人間の欲望に照らすと2つのことが考えられる。
1つ目は、特にカイロのような都市では経済格差が激しく、その落差がよく見え、
お金持ちが貧しい人にお金を渡すのは当たり前の喜捨だと思われているからだと思う。
もちろんエジプトでも高級ホテルであればチップの有無や額にとやかく言わないし、
(内心で思っていることはあるかもしれないが)
逆に地方の方がもっとリラックスしているとも聞く。
都市部で貧富の差が激しく、上の世界があることが分かるからせびられるのだ。
「その方法じゃ一生安定してお金を稼げないよ!」とこの私でもお節介したくなる。
2つ目は、チップで信頼を買っているのである。
日本では「空気」や「阿吽の呼吸」として相手が何をするのか想像がつきやすいが、
色々な国籍・民族の人が行き交う国では、
「その人と付き合うことが本当に自分にとってメリットがあるのか?」
ということが何かで意思表示されないと分からない。
そのことが『謎の独立国家ソマリランド』で学んだことであり、
ガイドさんにとって私たちはメリットがあるかということがこの旅では試されていた。
ただ残念ながら小娘の私には金銭的メリットはないのだ・・・気づいて・・・
でもそう考えると、私がチップと同じく苦手な値切りの交渉もちょっと面白い。
モロッコのときは買いたいものがハッキリしていたので、
ほぼ交渉はせず、現地の物価よりは高く買ってしまっていた。
ただ、エジプトのときは「6〜7割の本気度でしか欲しいもの」ばかりで、
本心から「う〜ん、この値段でこれだといらないな・・・」と言っていたら、
自然と値段交渉になっていた。(それでも高かった気がするけど)
普段交渉せずに日本人価格で買ってしまった3~4割増の部分には、
「せっかく地球の反対側まで来たから絶対欲しい」という緊急性がトッピングされる。
そりゃ、私だってチップなんぞ払いたくないので、
チップがない国への旅行で満足できたらなんとハッピーかと思う。
でもあれやこれやの手でチップを要求されるような国だから魅了されてしまうのだ。
そこには日本の「空気」や「阿吽の呼吸」を度外視して、
もっと人間の本質に問わないと成り立たない社会システムが存在する。
「金を払う」という行為が日本より生々しく相手の行動を変える行為なのだ。
日常とは異なる「常識」を経験することで、日本へのありがたみも少し覚える。
(それでも会社にいる頭でっかちなおじさんとかは嫌だけど)
自分が嫌だと思っていることにも、別の角度から見ると意味があるかもしれない。
と思いたいけど、単純にせびられているだけかもね!