お元気ですか、地図子です!
読者の皆さんの中で歩くことが好きな人はどのくらいいるのでしょうか?
この間改めて、なぜ自分が歩くのが好きなのか考える機会があったのですが、
この2点に集約されるのかなと思っています。
①歴史の痕跡を探して、昔からの知恵を見つけて感動する
②普段歩いている場所もなかなか行けない場所も繋がっていて世界は一つで感動する
感動しっぱなしですね(笑)
なぜならば、石神井川の流れは本来今の流れとは全然違った!?
その謎から、今回はミステリアスな日本旅館の女将のような区間でした。
その痕跡は一体見つけられるのでしょうか?
そして②についても、水源近くの小金井市に住んでいる人も、
最後の北区に住んでいる人も、同じ川で繋がっていると思うと感動します!
小金井市の人が小瓶にお手紙入れて流したら、
北区の人が読んでくれるかもしれないんですよ!ロマンしかないです。
もしかしたら隅田川下流の人に読まれるかもしれませんが・・・!
石神井川を歩く度に、地図子の心と太陽がヒートアップして、
この日は遂に最高気温34℃!
読者の皆さんは涼しい場所でこの記事をお楽しみください。
ではフィナーレ!れっつごー!
公園と川の秘密の関係
さあ、前回のゴールだった東京メトロ有楽町線氷川台駅からスタートです。
写真は爽やかですが、必死で木陰がある川沿いの道を探し始めます。
今日も隅田川までの距離看板が迎えてくれましたが、この暑い中、
後9.5kmも歩くらしい。9.5kmも歩くらしい。大事なことなので2度言いました。
最初の目的地である城北中央公園にやってきました。
公園だけではなく、野球場やテニス場、体育館、神社まであるようです。
さすがに暑すぎて、遊んでいる子どもはあまり見かけません。
川沿いの道は木陰にあったので命拾いしました。
吸い寄せられるように公園側を歩きます。
そしてなんと城北中央公園には茂呂遺跡・栗原遺跡という遺跡も残されています!
弥生時代から平安時代にかけての竪穴式住居を遠くから眺めることができます。
まさに現代版トトロのおうちです!
川沿いの道を歩いて行くと、徐々に公園の位置が川と比べて高くなってきました。
一応川の写真を撮っているのですが、
川沿いで焼いている上裸のおじさまを撮っているのかと思われないか心配です。
さあ、こちらの城北中央公園ですが、地図上で見ると、
石神井川が公園に沿って90°曲がって流れています。
真夏の中歩いている地図子にとっては、
角を切り落とすようにショートカットできたら楽ですが、
近隣住民にとっては大雨のときに危なくないのかな?と思っていたら・・・
やはり城北中央公園にも水と暮らす工夫、貯水池が隠されていました!
公園の東端の桜橋付近では、貯水池の水を石神井川に流す水路も発見しました。
何とも巨大です!
神田川などと同じように石神井川にもしっかり災害対策がなされているのですね。
川沿いの暮らし
城北中央公園を過ぎると、石神井川の下流一郊外の住宅地らしいエリアに入ります。
面白い名前や形の橋の数々(下は遊び心溢れる山崎橋)を通ると・・・
リアル上板橋がありました。
橋ベースでみると板橋より上流にあるということなのでしょう。
いたばしまちあるきマップを楽しみながら歩きます。
と、ここでさすが川沿いの住宅街!トマソンを発見しました!
業務後に涼しい風を受けようとビールを片手に窓を開いたら、
1階まで真っ逆さまという感じでしょうか、違いますね。
ここでようやく西武有楽町線以来の電車を発見です!
この辺りは川越街道の上板橋宿として栄えたようで、
下頭橋の近くには六蔵祠が建てられています。
隅田川までは後6.4kmの模様・・・
線路を越えたら川沿いに中板橋商店街が出てきました。
この辺りから一直線にビルが見えるようになってきて、
神田川のときに新宿の高層ビル群が見えるようになったときのことを思い出します。
中板橋商店街は石神井川沿い最後の住宅街っぽさを醸し出しています。
また、川の両岸には桜の木がずらっと並んでいるのですが、
ここは板橋十景の1つの石神井川の桜並木だそうです。
春に訪れたいですね。
そんな感じで春の桜に思いを寄せていたのですが、
たまたまふと振り返ったところ、
中板橋商店街と石神井川の狭間でビルの形が面白いことになっていました・・・
ベランダの一面がびっくりするくらい狭くてテラスのようになっていますね・・・
あああ!
皆さんは気付きましたでしょうか?
またまた最高なトマソンを発見してしまいました。
地形によって建物の形が歪められた場所にはトマソンが多く、川歩きの醍醐味です。
板橋の中心で愛を叫ぶ
先ほど川の先にビル群が見えてから、一気に都心っぽくなってきました。
石神井川の旧河道を利用して造られた氷川つり堀公園の隣はもう中山道です。
都営三田線の板橋本町駅と板橋区役所前駅の間に当たり、新板橋が架かっています。
創建当時は石神井川畔の景勝地だったそうですが、今はすっかり首都高速の下です。
立派な富士塚も置かれていました。
当時の人の往来ほど人は多くありませんでしたが、雰囲気は感じることができます。
旧中山道と石神井川が交差するところに、皆さんは区の名前としてお馴染み、
木製風の真の板橋が架かっていました!
この板橋の近くで先ほどの氷川つり堀公園と同じ旧河道が残されていて、
かなりぐねんぐねん曲がっているので、当時の流れの急さが想像されます。
こんな歴史的なスポットに来たら当然、
「こうして散歩しながら歴史を発見するの、好きだー!!」
と地図子愛を叫んでみました。心の中で。
板橋区というと今はすっかり池袋近辺の住宅街というイメージですが、
宿場名にもあるように歴史が豊富なことが石神井川を巡ることで分かりました。
石神井川は川なのか?谷なのか?
旧中山道・中山道付近では、少しだけ昔の旧河道を感じることができましたが、
板橋を過ぎるといよいよ石神井川の様相が変わってきます。
石神井川は徐々に渓谷のように深くなっていくのですが、
今と昔では流路が全然違い、昔は不忍池方面の方に流れていたとの説があります。
隅田川まで3.8kmになって、そういえば周りを見渡すと、
「加賀さくら橋」や「加賀一丁目みどり橋緑地」など、
やたらと「加賀」という地名が増えてきました・・・
と思っていると、真の加賀公園が現れました。
実はこの辺りは江戸時代は加賀前田家下屋敷、
明治時代から終戦までは石神井川の水を利用した板橋火薬製造所だったそうです。
今加賀という地名が付いている辺り一帯が下屋敷の敷地だったとすると、
石神井川を挟んでかなり広大な土地です。
石神井川は板橋駅と十条駅の間でJR埼京線の高架下を流れていきます。
ここで何と
地図子、善福寺川を歩く -1/2 善福寺公園から荻窪橋まで-
で顔見知った千川上水さんが管渠を経て石神井川に放流されていました。
すべての水路は石神井川(そして隅田川、ひいては東京湾)に通ずですね。
JR埼京線の下をくぐると、住所がついに板橋区加賀から北区滝野川になります。
音無くぬぎ緑地もまるでナイアガラの滝のほとりのようです。行ったことないけど。
黙々と歩いていたら目の前に急に大観音様が立ちはだかりました!
近藤勇の菩提寺の寿徳寺の観音様だそうですが、かなり巨大です。
このように石神井川が大きく蛇行した名残が今だに多く残っています。
昔の流路は今は暗渠となってしまった谷田川・藍染川として、
この辺りから不忍池に向かって流れるルートだったという説が濃厚です。
また、昔から紅葉の名所でもあり、滝野川名物の紅葉橋が架かっています。
王子駅はすぐそこ!
ただあまりの暑さに音無渓谷の木陰で休もうとするのですが、
ここはここで蚊に大量に刺されて踏んだり蹴ったりです。
仕方がないので、残りの石神井川を気合いで一気に行きます。
ようやく王子駅前の音無橋まで出て来ました!
橋の上から石神井川を覗き込むと、ものすごい高低差です。
この音無親水公園は子どもたちが水遊びしながら涼むのに格好でした。
そろそろクライマックス!
石神井川の都市の顔
JR埼京線からかなり歩きましたが、
とうとうJR京浜東北線・東京メトロ南北線・都電荒川線の王子駅に到着です。
たくさんの人が行き交う中、石神井川はひっそり都電の横を通っていきます。
さっきの美しい渓谷とは打って変わり、
王子駅を超えると石神井川は完全に人工的な都市河川になりました。
周りはビルだらけ、首都高速の下を通ります。
最後の最後で川沿いを辿ることが難しくなってきましたが、
果たして隅田川との合流地点を確認することができるのでしょうか・・・?
最後は堀堀緑地の脇にある橋から見てみると・・・
どーん!
小学校から湧き出たり、武蔵関公園や石神井公園の流れと合流したり、
渓谷のような区間を通ったりした石神井川は静かに隅田川と合流していました。
ゴルフコースから流れ出た水がこんな都心に辿り着くとは誰が想像したでしょう。
長い間、そして暑い中お付き合いいただきましたが、
石神井川を歩くはここまでになります!
小学校・ゴルフ場を経て住宅街の裏を静かに流れていた人生の達人から、
現代も公園や遊歩道に工夫がされながらも昔の姿も残すしぶとい原住民から、
最後は歴史はありつつも流路変更の痕跡は一切隠すミステリアスな女将まで
本当に様々な顔を持つ川でした。
東京23区北部の二十面相ですね!
皆さんも上流・下流の人に思いを馳せながら石神井川沿いを歩いてみては?♡♡
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これまでの石神井川を歩くはこちらからどうぞ:
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国分寺崖線を一部歩いている記事はこちらから: