ふと思い立って、プチ冒険

私は鉄子ではなく、地図子です

羅漢寺川と写真

買って1年経たないうちに、外付けハードディスクが壊れた。
外付けハードディスクには、地図子が色々な場所をお散歩して、
ブログや書籍化のために貯め込んだ写真が大量に詰まっている。
部分的にスマホに保存していたけど、全部保存すると容量がなくなるので、
外付けハードディスクにしか残していない写真もあった。
1年経ってないから大丈夫だと思ってバックアップを先延ばしにしていた。失敗だ。

 

この状態になってまず考えるのは、写真データを復旧できるかどうか。
問い合わせたら物理障害らしく、安くて12万円、高いと50~100万円で、
払ってもすべての写真が復旧できるとは保証できないと言われてしまった。
な、なんと・・・このなんでもできるご時世、そんなアナログなことがあるのね。

 

さあ、自分の写真に対していくらまでならお金を払える?
最初は「12万円とか払うわけないじゃ〜ん」と思っていたけど、
データを戻すにはお金を払うしかないと思うと、無性に払いたくなってきた。

 

いやいや、ちょっと待って!
冷静にこのブログや電子書籍で取り返せる値段じゃないし、
12万円あったら行ったことがない場所に旅行に行けちゃうじゃん!
ロッコやエジプトにもう一度行くのに比べると12万円は安いけど、
そのときの写真は残しているし、復旧しなくてもいいかな・・・

 

 

 

お金の面を考え尽くしたら、地図子にとって写真は何だろう?と思えてきた。
今の時代、写真なんかデジタルで誰でも簡単に撮って現像できるから、
写真を撮ることより現実をもっと大事にしたら?という意見もあった。

 

でも考えてみると、地図子は写真を振り返ることで、昔を思い出しているのだ。
地図子は一度経験しただけだと、圧倒的に記憶喪失だ。
本もたくさん読むけどすぐ内容を忘れるし、
人と話していても「え、そんなことあったっけ?」というときがよくある。

 

でも写真も然り、このブログも然り、毎日書いている日記も然り。
視覚情報として残して、何度も振り返ることで、思い出を脳に刻み付けている。
写真を失うということは、今まで生きた記憶を失うこととほぼ同義なんだと思う。

 

 

 

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もう一つ気付いたこと。
ロッコやエジプトの旅費は復旧より高いかもしれないけど、お金を出せば行ける。
けれども過去の風景というのは、お金を出しても戻ってこないのだ。

 

去年の7月に本田創さんのNHK文化センター講座羅漢寺川を訪れた。
その夏の日、羅漢寺川沿いの壁からは、水がちゃぽちゃぽと瓶の中に落ちていた。
上の写真を通して、その景色は地図子の脳内に刷り込まれている。

 

しかし、このときの写真は少ししかスマホに移してなく、
ほとんどが壊れた外付けハードディスクとともに電子の世界に消えた。
今この羅漢寺川の小径は変化のときを迎えていて、
水が出ているところにはパイプが取り付けられ、水が見えなくなろうとしている。
今年の夏には、きっともう同じ景色ではない。

 

 

 

写真の価値なんて、人それぞれだ。
それでも少なくとも地図子にとって写真は、思い出箱なんだと気付いた。
何度も見返すことで、過去のその日を頭の中でより濃いものにしている。

 

・・・と色々書きましたが、お金も価値の天秤だと思うので、
復旧できるか分からないものに何十万円をかけるより、
新しい場所に旅行するのに何十万円をかけることにしました。
目から汗を流し、断片的な記憶を抱えたまま、生きていきます。

 

・・・写真のバックアップは必ず2ヶ所以上で取りましょう。
(ハードディスク屋さん…データ復旧がもう少しスマートになったら泣いて喜びます)

 

 

 

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