ふと思い立って、プチ冒険

私は鉄子ではなく、地図子です

ブラ地図子 -萩 後編-

まだまだ続きます、ブラ地図子@
前編では江戸初期に築城された萩城と、その周辺の砂州にできた城下町、
そして幕末の努力の結晶である萩反射炉を回りました。
後半では幕末〜昭和、そして萩の地学的背景について振り返ります。
それでは、れっつごー!

 

 

 

 

 

 

幕末から現代を繋ぐ、明倫館

 

前編で訪れた高杉晋作誕生地。その先は南に向かって下り坂になっていました。

 

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この先は住所でいうと萩市江向になり、城下町より区画が広くなっています。
萩市江向は古来湿地帯で建物を建てるには向かず、水田となっておりましたが、
明治時代に技術が向上したことで大規模施設はすべてここに建てられました。
地図を見ても、中央公園・図書館・市役所・郵便局などがぞろぞろ。

 

そのうちの1つに、明倫館という元藩校があります。
「ん?江戸時代の建物は砂州の上に建てられるのでは?」と疑問が湧きますが、
1718年に建てられた当時は堀内の中(地図の左の地点)にあり、
1849年に今の場所(地図の右の地点)に拡大移転しています。

 

 

早速明倫館を見学します。
ブラ地図子 -水戸編- の弘道館を思い出す、立派な門が残っています。

 

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そして中に入ると・・・こちらも大変素晴らしい。
すべての日本人がノスタルジーを感じる自信がある、素敵な木造校舎です。
興奮しても廊下を走ってはいけません。

 

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この木造校舎素敵だけど、少し新しくない?と思われた方。
この建物自体は1935年に明倫館の跡地に建てられた明倫小学校の校舎でした。
1996年に本館が国登録有形文化財に指定され、
2014年までは実際にここで授業が行われていたそうで、
2017年に「萩・明倫学舎」として今のような観光施設になったそうです。


ボランティアの方が多く常駐なさっていて、
紙芝居を読んでくださるなどとても活気がありました。

 

 

 

建物は昭和のものですが、裏にある水練池は藩校時代に使われていた場所。
水練池があったのは明倫館と会津の日新館だけだそうで、
「日本最古のプール」と言われています。

 

湿地帯を活用したことで現在まで保存された明倫館の跡地は、
江戸時代と現代の架け橋となる貴重なスポットでした。

 

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萩の地学的背景

 

最後は三角州にできた萩の街を支えた地学的な場所についてまとめます。
まずは萩市の中心から少し離れたこの笠山展望台から、日本海を眺めます。

 

 

まずは萩市内の中心方面を見てみます。
真ん中の海岸沿いのぼこっとした山が萩城がある指月山で、
その左のわずかな三角州の上に萩の街が乗っかっているのが分かります。

 

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少し角度を変えると、面白い平らな島がぽつぽつと海の上に浮かんでいます。
これらはなんと火山だそうです!
よく見ると、今ではすっかり火山の島に住んでいる人たちもいますね。
調べてみたら、小中学校や郵便局も建っていました。

 

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この火山から生まれた安山岩を萩の建物の土台として活かしています。
下の写真では菊屋家住宅の土台としても使われていましたし、
このページを遡ると、明倫館の門の下にもしっかり使われています。

 

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実は先ほどの明倫館、2階に萩ジオパークビジターセンターが設置されていて、
萩周辺の火山についての説明が書かれています。

 

このジオパークブラタモリファンにとっては聖地!
なぜなら上述した安山岩以外にも、泥岩、ホルンフェルス、砂岩、
石灰岩、チャート、花崗岩、凝灰岩などと、
タモリさんが当ててしまう岩の種類の現物が展示されているのです!


ジオパーク自体はとても広い教室なので、
ここでブラタモリ鑑賞会をしたらファン全員で岩の専門家になれることでしょう。

 

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今回の盛りだくさん、ブラ地図子@萩はここまでになります。
萩の街は湿地という不便な地形があったことで、
その広大な土地が明治維新の近代化に使われ、
元々砂州にあった城下町が綺麗に残された奇跡の街でした。
菊屋家住宅や萩・明倫学舎などは圧巻で、一見の価値ありです。

 

そして萩の街のすぐ隣に日本海、その先に大陸があったことで、
幕末の偉人たちは世界を常に見据えて切磋琢磨し、羽ばたいていったのですね。

 

皆さんも幕末の街並みの中で、偉人たちの熱い想いに心を馳せてみては?♡♡

 

 

 

 

 

 

 

おまけ:元乃隅稲荷神社のお賽銭

 

大好き廃ログヒヤパさん(id:hiyapa)風、おまけコーナーです。
萩の街の後に、インスタ映えで有名な元乃隅稲荷神社も訪れてみました。
青い海に赤い鳥居が映えますね〜良い眺め!

 

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元乃隅稲荷神社に来てやることといえば、もう1つ。
お賽銭箱が鳥居の上にあり、相当なコントロール力で投げ入れないといけません。
一緒に行った相方さんは3〜4回目で無事チャリン。
隣で地図子は格闘中・・・入れては落とし、惜しくも落とし・・・あれ?

 

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地図子が投げた5円玉はチャリンのチャの字も言わず、
なんと鳥居の上に乗り上げました。
コレハヨソウガイダヨ(^ω^)

 

鳥居の上に乗り上げてもご利益はあるのでしょうか、心配です。
もし雨風の後に地面に落ちている5円玉を見つけたら、
地図子の代役で投げ入れていただきますよう、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

 

(ほんとにおわり)

 

 

 

 

 

 

 

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中国地方での過去のブラ地図子はこちらから:

 

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