5月なのにもう暑くなってきましたね、地図子です。
それでも今が一番お散歩するのにいい季節だと感じます。
週末にフラッと近場を訪れるのも楽しいですよね。
そんな関東圏からフラッと観光に行ける場所としてオススメしたいのが、
今回の記事の舞台、会津です。
綾瀬はるかさん主演の大河ドラマ「八重の桜」が放送されたのは6年前になりますが、
当時毎週観ていて、鶴ヶ城での戦闘シーンにとても緊迫感があったのを、
今でもはっきりと思い出します。
そんな会津ですが、普段地図子が住んでいる東京は海が近い平野ですが、
こちらは山に囲まれた盆地です。
盆地ではどのような街づくりで、どこから水をゲットしているのか?
会津をブラブラしながら見てみたいと思います!れっつごー!
会津の中心で水路の痕跡を探す
会津と言えば、まず訪れたいのが冒頭でも紹介した鶴ヶ城です。
難攻不落の名城らしく、最初から巨大な城壁がお出迎えしてくれます。
鶴ヶ城は1ヶ月間戊辰戦争を持ちこたえたものの、開城後の荒廃がひどく、
一度1874年に取り壊されています。
そして1965年に無事再建され、その形を今も残しています。
一番上の展望層まで登り切ると、このような景色を眺めることができます。
どの方角を見渡しても奥には山!山!山!
それでもこの鶴ヶ城は、会津盆地の中でも南西の方に建てられました。
その理由としては南東側が湯川の扇端となっていて、比較的高いからです。
実際に南東では標高240mほどありますが、北西では170mほどに下がります。
盆地の中でも比較的高い位置に造られた城下町では、
水を街全体に行き渡らせるために工夫がされていました。
それがこのクランク道です。
このクランク道は以前の ブラ地図子 -弘前編- でのクランク道とは異なり、
お城の方向に向かった道ではないのです。
これは水の流れをクランクで散らし、町内に行き渡らせるためだと考えられています。
湯川の扇頂、東山温泉
ここまでの話を踏まえると、まず会津の水は南東の湯川から流れてきていたとのこと。
そして会津近辺で温泉宿に泊まろうと思うと、
最寄りの温泉街は扇頂部分の湯川沿いに細く残る東山温泉になります。
放送ではタモリさんは御宿東鳳から会津の扇状地を眺めていましたが、
他の温泉宿からもこのように湯川が山を削りながら流れていくところを
温泉に浸かりながら楽しむことができます。
近くの会津武家屋敷とセットで回るのがオススメです。
白虎隊も通った、戸ノ口用水
最後に、会津の街が大きくなるにつれて更に水が必要となり、
湯川以外からどのように確保していたのかを探ります。
と、ここで少し寄り道。
盆地の端から会津の街を見下ろすと、なんとも清々しい景色!
ここはどこなのか?と言うと、かねてから行ってみたかったさざえ堂です。
中は二重螺旋構造になっており、上がって下がっても誰ともすれ違いません。
ここに来るだけで33ヶ所にお参りできるとはなんと遊び心があるのでしょう。
そんなさざえ堂ですが、実は戊辰戦争に関わりが深い場所のすぐ近く。
それは当時16~17歳の男子によって構成された白虎隊が、
この飯盛山から鶴ヶ城が燃えているのを見て自決したという場所です。
山からは鶴ヶ城(右半分の緑部分)を見ることができます。
あの遊び心溢れるさざえ堂が、白虎隊自決の地のすぐ隣にあるとは不思議です。
そして今は自決の地は階段やお墓などが整備されていますが、
ふと脇を見ると木がうっそうと生い茂っています。
当時はこんな山道を頑張って歩き、鶴ヶ城が燃えているのを目にしたら、
それは絶望の淵に追い込まれるだろうなと想像してしまいました。
ここまで全然水の話をしていないじゃん!
とお思いかもしれませんが、では白虎隊がどこからやってきたかというと、
あれ?山肌にこんな水路が造られています。
そしてこの水路の来し方を探ると、最後は小さい穴に辿り着きました。
これが戸ノ口堰洞穴と言って、なんと31km先の猪苗代湖から水を引いてきています。
切り通しを造ったりと、会津藩の知恵が結集されています。
そしてこの戸ノ口堰洞穴は先ほどの白虎隊が戸ノ口原で敗れて、
会津まで戻ってくるのに通った洞穴だとも言われています。
会津の人々の命は支えましたが、白虎隊の命までは・・・ということだったのですね。
ここまでがブラ地図子@会津になります。
普段海の近くに住んでいるので、山の中の盆地でどのように水が流れ、
人々の生活を支えているのかを学ぶのに素晴らしい街でした。
そして扇頂部分では地形や歴史も勉強しつつ、
温泉にもじっくり浸かれてしまうというところが最大のオススメポイントです⭐︎
皆さんも湯川や戸ノ口用水を背に感じながら、会津の街を楽しんでみては?♡♡