鴨川を行くはひと段落しましたが、せっかく京都に行ったので、
ブラタモリで回っているところも歩きたい!
ということで2泊3日の旅程がパンパンになるまで回り尽くしてきました。
初回はTHE・京都な祇園をお届けします。
祇園といえば女子旅で行くと、着物をレンタルして、
八坂神社や花見小路通をぷらぷらしながら写真を撮って・・・というイメージです。
(単なるイメージで、地図子にはそんな可愛い女子旅の経験はありません・・・とほほ)
が!地図子的に見ると、この間歩いた鴨川とも縁が深いエリアです。
ブラタモリの内容を歴史の時系列に沿って見ていきます。
祇園の範囲は祇園社全盛期?
女子旅にせよ、地図子旅にせよ、祇園と行ったらまずこちらにお参りでしょう!
祇園の東側に位置する、八坂神社です。
この赤い門を見るだけで京都に来た感じがあって、テンションが高まります。
早速本殿でお参りして、せっかくなのでおみくじを引いちゃいます。
おみくじを開くと・・・お、大吉!
喜んでいると早速境内でお正月の準備をしていたお兄さんが、
地図子の目の前で軍手を落としたのです!
これは少女漫画的な運命の出会い!?
・・・実際は地図子がおろおろ「お、お兄さん、軍手!」と
サザエさんのように追いかけて無事お返し、ちゃんちゃんでした。
突如訪れた少女漫画モードはこの辺にして、祇園の探検に集中しましょう。
新年の出店の中に埋もれていたのでだいぶ探しましたが、
そもそも祇園という街の由来となった祇園社の灯篭を発見しました!
八坂神社はそもそも祇園社(または感神院)という名前で656年創始という説です。
鎌倉時代に建仁寺ができるまで、祇園社は四条通りの南北に渡って
広大な境内を有していました。
そんな広大な敷地を有していた祇園社が、どのように街へと変わっていったのか。
そこには地図子が濃密なデートを繰り返した、鴨川が関わっていました!
寛文新堤と北側の発展
地図子、鴨川を行く -2 中流編 上賀茂神社から五条大橋まで- で歩いた三条大橋。
その麓に祇園の街が発展した名残の寛文新堤があります。
鴨川を行くでも見たように、鴨川の川幅は元々河原町から縄手通まであったのですが、
1670年に江戸幕府が寛文新堤を建てて、川の埋立地を造っています。
こうして地図子も大好きな川床などが鴨川沿いに並ぶようになりました。
元々祇園社の北側は白川にも挟まれ、水はけが悪かったと紹介されていました。
祇園社の境内ではあったものの、
荒地で特に何かが建っていたわけではなかったと推測します。
そこに寛文新堤が造られ、建物が建ちやすくなり、
江戸時代に西は縄手通、東は大名屋敷を基準に花街ができていきました。
土地をめいいっぱい使って、街を広げていった結果の境界線がこちら!
いや〜本当にギザギザ。そのギザギザを活かして車も停まっちゃっています。
そして地図子は朝歩いたのですが、夜は1人では歩きたくないかも・・・
というくらい江戸時代から現代に至るまで生粋の花街です。
それなのに1本北の道は白川沿いにこんなに綺麗なので、不思議な街です、京都。
建仁寺と花見小路と、ときどき市電
お待たせしました、最後に南側の花見小路通をぷらぷらします。
実は花見小路通ができたのは1874年と最近。明治以降に発展しています。
その時期は北側や四条通沿いに花街、南側はお寺というかなりロックな祇園です。
ところが明治時代の廃仏毀釈によって、建仁寺の境内は一部没収され縮小しました。
そこを祇園の組合が買い取って、現在のお茶屋さんに造り替えたそうです。
その理由はというと・・・
路面電車ができて大勢の人が来往するようになったことで、
同時に四条通も以前より北に拡張されて、
冒頭の八坂神社の西楼門も1912年に北に移築されました。
拡張前の位置を記念する石碑から四条通を眺めると、
なるほど門の位置がだいぶ寄ってしまっていたことがよく分かります。
四条通から花街が駆逐されたことで、
この赤い一力亭の入口も四条通沿いではなく、花見小路通側に移動しました。
移転せず、門の位置を変えれば良かったのは、お店的にも歴史的にもラッキーですね。
祇園の南側のクライマックスとして、境内が縮小された建仁寺に立ち寄ります。
・・・って地図を見ると現在もお堂がたくさんあって、とても広いですね。
建仁寺の近くで地図子が特に気になった場所はこちらです。
周りはどこを見渡してもお茶屋さんばかりなのですが、
その中に古い住宅が立ち並び、井戸が残っているエアーポケットがありました。
迷路のようだったので、次祇園に訪れても見つけられないかも・・・?
ふ〜、朝9時からこんなに歩いたので、お腹が空いてしまいました。
せっかく祇園に来たので、最後に朝食をいただきます!
「花街で朝食!?」と思われた方にもオススメな朝食喜心さんでは、
花街のど真ん中で美味しい一飯一汁がいただけます。
今回のブラ地図子@祇園はここまでになります。
諸行無常なれど人々が集うという軸は1本通っている街だなと感じました。
そして地図子のように街の歴史を学びながら歩いてもよし、
着物を着て街並みを楽しむ女子会をしてもよし、な深い街ですね。
皆さんも街の歴史という観点から祇園を歩いてみては?♡♡