梅雨らしくなってきましたね、地図子です。
東北ロードトリップ、武蔵小杉と怒涛のブラ地図子続きですが、
今回は飛びに飛びまして、本州の最西端をぶらぶらしてまいりました・・・
山口県の萩です!
中国地方といえば、 ブラ地図子 -松江編- を始め、どこも大好きなのですが、
山口県で本格的に観光をするのは初めて!
萩も昔の街並みがよく保存されていることで期待が高まります。
そんな萩を一通り回ってきましたが、観光するところが豊富!
タモリさんと林田アナも1日で回るのは相当お忙しかったのではないか、
と思うほど地図子も半日強でぐるぐる回りました。もう少し見たかった・・・
幕末の歴史が盛りだくさんなので、歴史の流れに沿って、
前編・後編に分けてご紹介していきたいと思います。
れっつごー!
萩の心臓、萩城
まずいつ頃から萩の街が造られるようになったのか?と考えると、
一番のきっかけは1604年に毛利輝元が広島から萩に移ってきたことによるようです。
この毛利輝元、関ヶ原の戦いで負けたことにより、
周防国・長門国の2ヶ国に厳封されてしまいました。
瀬戸内海側の広島近辺とは違い、日本海側は海の近くまで山が迫っています。
この萩の街がある位置は日本海側としては貴重な三角州でしたが、
広島の三角州を思い出すと少しホームシックになりそうですね。
萩に移ってきたとなると、どこにお城を建てるかが気になるところです。
山だらけの萩は少し特殊な形をしていて、
萩城は海に出っ張っている指月山に築城されました。
早速萩城へ!
クランクを抜けると、早速指月城がお出迎え。すぐ裏は海です。
廃城令により建物は残されていないのが残念ですが、お堀はしっかり残っています。
ちなみにここ、「萩城」と検索すると24時間営業とコンビニのような表示ですが、
その手前が「萩城跡指月公園」となっていて、ちゃんと営業時間があります。
冬は16時半までですが、夏は18時半までなので観光客には嬉しいです。
天守閣ももちろんあったのですが、今はこの看板しか建っていないため、
江戸時代へタイムトラベルする想像力を問うています。
公園だけでなく山頂には山城があるそうですが、山登りを覚悟しないといけません。
萩に来るのが何周目かの玄人の方は、是非チャレンジしてみてください!
砂州上の城下町
城がある、ということはその麓には城下町ができます。
萩の城下町は下の呉服町を始め、東西に走る掘の上部分にあたり、
この辺りは「明治日本の産業革命遺産」の一部として世界遺産にも登録されています。
実際に歩いてみると・・・おお〜素晴らしい街並み!
出雲や松江を訪れたときも思いましたが、
中国地方はタイムカプセルで蓋をされていたかのように古い街並みが残っていますね。
実際に当時の面影を残す建物に入れるらしい!
とのことで、萩藩の御用商人であった菊屋家住宅にお邪魔しました。
見て驚くなかれ・・・
いや〜!
私の写真技術が足らずお伝えし切れていないのですが、庭園が本当に素晴らしい。
2面が縁側なので、パノラマビューが半端ないです。
中心から少し左にある平らな石は籠を置く場所だったようで、
そこからお屋敷に向かって石の道が引かれているのがかっこよすぎます。
こんなレトロなものも!
「電話ボックスではないんですよ」と説明していただきましたが、
当時はお屋敷の中には電話室があったんですね。
この「DENWA」、シールに印刷してパソコンに貼りたい・・・!
そしてこの商売道具一式!
連続テレビ小説「あさがきた」で似たような道具を使われていましたが、
まさか萩で実物を見ることができるとは・・・感動しました。
庭園は他にもありました。一体この菊屋家住宅はどれだけ広いのだろう・・・
そして数えただけでも家の中に井戸は5つほどあったと思います。
庭師の方もいらして、束の間の豪邸の令嬢気分を味わうことができました。
はあ、住みたい・・・
菊屋家住宅以外にもお屋敷は色々な形で残っており、
タモリさんの名前の由来である田中義一の邸宅は少し看板が建っていたり・・・
あるいは明治時代になって住宅が取り壊された空き地は、
みかん畑として区画が保存されていたりしました。
そして高杉晋作誕生地もあるのですが、そのお家の前の道を南方面に眺めると・・・
高低差があり、南側に向かって低くなっていました。
これらの城下町は指月山を中心として砂州の上に建てられていて、
南に向かうと土地は低くなっていました。この先には・・・?
明治維新の失敗作?
低地に何があるかは一旦横に置いて、
「明治日本の産業革命遺産」をもう1ヶ所訪れます。
それが「萩反射炉」です。
萩反射炉は萩の中心部から少し離れた、高台の上に建っています。
階段を登ると・・・
おおお、三鷹の森ジブリ美術館に置いてあるロボット兵を彷彿とさせますね。
というかブラタモリを観ていなかったら
「ふーん、結構雑な造りだな」としか思わなかったと思います。
実はこちらは明治維新に向かって大砲の鋳造方法を試作していた反射炉で、
実際には一度も大砲の製造を完成させたことはない、失敗作になります。
それでもやはり「挑戦し続けているうちは失敗という概念はない」!
と、某地図子は言いました。
この挑戦を土台として今の日本があるので、世界遺産にも登録されたのですね。
すぐ隣は海で、太平洋側より大陸が近く感じられる。
そのことにより萩は幕末に革新的な人材を多く輩出し、
萩反射炉のような先進的な取り組みもなされたのだなと肌で感じました。
・・・と、萩が盛りだくさんすぎるので、前編はここまでです!
後編では低地の正体と萩の面白い地学的背景について書いていきます。
引き続き風情ある萩の街をお楽しみに♡♡