鉄分強めの読者の皆さん、お待ちかね!
2019年私鉄10社宝探しスタンプラリーの後編です。
遂に3月21日にスタンプラリー最終日を迎えましたが、皆さん間に合いましたか?
イベント終了後ということで、本記事ではまず後半10駅の由来を見てから、
最後に前編・後編合わせて回った20駅を公開しちゃいます。
今回も初めての駅あり、懐かしの駅ありです。
さあ、れっつごー!
- 街の中心を取ってスタンプを押す
- 学校を懐かしんでスタンプを押す
- 海の中でスタンプを押す
- 森の中でスタンプを押す
- 沼地で馬を手懐けながらスタンプを押す
- ヤマイモのもてなしを受けながらスタンプを押す
- 川が合流する地でスタンプを押す
- 川に囲まれた地でスタンプを押す
- 開墾された台地を眺めながらスタンプを押す
- 川の曲流を見ながらスタンプを押す
街の中心を取ってスタンプを押す
後半戦第1弾はとある街の中心を訪れました。
中心から街を見下ろすとなかなか荘厳な景色。
なぜならばこの建物も街の複合施設なのですが、ギリシャの神殿かのようだからです。
この駅に来るとちょうど6年前、
ここのジョナサンで勉強していた地図子は急に悪寒で震えだし、
そのままインフルエンザにかかって成人式に出られなかった苦い記憶を思い出します。
これから成人式を迎える皆さん、必ずインフルエンザのワクチンを打ちましょう。
さもなければ地図子のように、1人ベッドで悲しく
「ふりそでーしょん」を聴きながらみんながアップする写真を眺めることになります。
学校を懐かしんでスタンプを押す
次にやってきたのは学校です。
この駅の旧名がとある学校を指していて、
現在はその跡地に違う学校がいくつか建っています。
この駅には以前も私鉄10社スタンプラリーで訪れましたが、
当時はクリスマスツリーが飾られ、今回は買い物できて、なかなか住みやすそうです。
けれども道路が入り組んでいて駅近物件は探しにくいとか・・・
こういった街の色々な面を見ることができるのもこのスタンプラリーの良さです。
海の中でスタンプを押す
ガラリと変わって、こちらはなかなか降りる機会がなかった駅です。
この駅の由来は、3つの村が合併したことで今の名前に確定しました。
意外だったのが、この地域の人の定住の歴史は4世紀頃からとかなり長く、
写真のような古墳が残っていることです。(これは古墳なのか?)
・・・とは言っても古墳の周りには今はあまり何もありませんでしたが。
この辺りは川が多いのですが、あまり行く機会がないので、
もっと開拓してみたいエリアではあります。
森の中でスタンプを押す
先ほどの水らしいエリアとは打って変わって、
ここは動物が住んでしまうくらい自然が豊かだったことが駅名の由来になっています。
この辺りの住宅地が開発されたのは最近なのにも関わらず、
駅の近くはマンションや商業施設が立ち並び、家族連れで一杯でした。
それでも少し駅を離れると、写真の池のように、
駅名が付いた頃の面影が隠し切れていない場所が多々あります。
沼地で馬を手懐けながらスタンプを押す
こちらの駅の近くも地図子は歩いたことがある・・・!
となると、察しがいい方はお気付きかもしれませんが、
前編の5ヶ所目のように沼地を指す言葉が地名の由来になっています。
この川の先は有名な場所なのですが、
ここに入る人の何割が過去にも有名な場所だったと知って入るのでしょう・・・
多分ほとんど知らずに入っているのではないかと思われます。
ヤマイモのもてなしを受けながらスタンプを押す
今回の駅名の由来は、駅から15分ほど離れたところにあるお寺が残っていて、
そこでヤマイモがもてなされたことが地名の由来の1つだと言われています。
周りには街道や川も残っていて、少しタイムワープした気分が味わえます。
この駅には以前も10社私鉄スタンプラリーで訪れたことがありましたが、
今回訪れたところ、駅は大幅な改修工事が入っていました。
その工事の標語が「変わりゆく街を変わらず愛してくれますか?」だったので、
いじらしいなと少し親近感が湧いてしまいました。
川が合流する地でスタンプを押す
場所を変え、今度は京都デルタを思い出すような川の合流地点までやってきました。
この駅は町と町が合併するときに命名で揉め、そのとき新しい名前を付けたのですが、
後からその地名は別の場所を指していると分かった何とも切ない駅です。
今回地図子はこの駅にて携帯も充電器も電気切れ。
仕方なくコンセント付きファストフード店で過ごしましたが、タイムロスですね・・・
太陽光で充電してくれる携帯があれば、地図子の場合いつでも満タンなのですが・・・
川に囲まれた地でスタンプを押す
こちらも私鉄10社スタンプラリーの定番。
地図子が初めて参加した2014年も行ったのを覚えています。
市街地が川に囲まれていることが由来だと言われています。
この街は行く度に違う表情をしているな〜と思います。
初めて訪れたときはマイナーな道を通ったらしく「栄えてない!」と思ったのですが、
2回目以降はすぐ隣に商店街があることが分かり、その混雑の差に大変驚きました。
実はこの街の名所を回り切れていないので、今度ブラ地図子しようかな〜。
開墾された台地を眺めながらスタンプを押す
今回地図子宅から最も遠かった、こちらも私鉄10社スタンプラリーの定番。
写真でほぼネタバレしていますが、稲の出来がいいことや開墾されたことが由来です。
この駅というと、違う場所もイメージされるのですが、
今回この写真を選んだのは、初めて見たときに違和感を感じたからです。
施設の都合上、平らな場所にあるだろうな〜ということは思っていたのですが、
よく見ると平らは平らでも台地の上を走っていました。
なのでこの施設にしては珍しく、隣の台地からこんな写真を撮ることができるのです。
川の曲流を見ながらスタンプを押す
最後はまた川に戻ってきて、デルタの対岸にある橋から川を見下ろします。
この駅は開業当時は別の名前が付いていましたが、縁起が悪いと変更になりました。
その旧名の由来が右の川がよく曲がっていることにあるとも言われています。
前半ほど子鉄が気にならず、後半はガシガシスタンプを押していた地図子ですが、
ここで遂に事件が起きたのです。
最後のスタンプということで、地元の子どもたちで囲まれたスタンプ台に突入したところ、
そのうちの何人かにめちゃめちゃガン見されました。眼差しが鋭い・・・
サッカー少年少女たちは容赦無く私がスタンプを押す姿を見つめていたのですが、
1人が「へ〜ここスタンプ台なんだ。あんたもやれば?」と違う子に言ったところ、
もう1人の返事が:
「は?やんねえ」
は?やんねえ!!!
は?やんねえ・・・
は・・・やんねえ・・・
最後の最後にして、か弱いお姉さんの心は完全に砕け散りましたよ。ええ。
サッカーが好きな子もいれば、スタンプを押すのが好きな子もいるのよ、坊や。
まあ何の役に立つのかと言われれば一瞬で答えに窮するから、
お姉さんも健康に良いサッカーをやるのは大事だと思うけど!!
そんな心が砕け散ったラストでしたが、無事スタンプを押し切ることができました。
この後の最後の謎解きも難しかった・・・ほとんど相方さんが解きました。
今回はすごく凝った企画だったな〜と思っていたら、
タカラッシュ!さんという会社が企画なさっていたのですね。素晴らしいです。
後は豪華景品が当たるように祈るのみ・・・!
皆さんも次回(あれば)私鉄10社スタンプラリーに参加してみては?♡♡
ということで、答え合わせをしたい方は下のボタンをぽちってみてください。
答え合わせ
前編
菊名一族が開発したから、蓮勝寺の山号「菊名山」から、
丘がせり出し谷戸が入り込んだ地形を指す「キク」からの3説あり。
その名の通りスリバチ地形がすごく、調べるとこのブログが出てくる。
階段巡りブログ: 2014-07-19 東白楽 妙蓮寺 菊名 階段マラソン
ブラ地図子 -田園調布編- でも回ったように、
1923年に田園都市株式会社が田園都市多摩川台として
調布村の分譲地を売り出したことが由来。
ややこしいのが田園調布と調布だが、当時田園調布は調布村、調布は調布町だった。
魚を捕らえるために海の中に立てる竹の小枝(ひび)が生える入江(谷)が由来。
1870年の大火をきっかけに火除け地に招聘した鎮火社が、
静岡原浜松市の秋葉大権現からの勧請だと
地元の人に勘違いされ「秋葉の原」が定着する。
1888年に東北本線が上野駅から秋葉原駅まで延長されるのに従って、
台東区松が谷に移転されて秋葉神社となった。
入谷駅近くのパスタ屋 エッコ・エッコ入谷店 が美味。
水が抜けて乾燥した「蒲池」、泥臭い田地を意味する「蒲田」、
なぜか沼の中の島を表すアイヌ語の「カマタ」の3説あり。
地図子、呑川を歩く -2/2 開渠地点から旧呑川河口まで- でも田地気分を味わえる。
東海道の品川宿にあり、農民が青物を持ち寄って市場を開いていたことが由来。
武将・和田義盛が平家打倒の祈願に現在の和田稲荷神社に訪れたときに、
不思議な夢を見たことにちなんで源頼朝が名付けたという説あり。
戦後の混乱期に住宅地開発が始まり、一般公募により東京都世田谷区の主婦案を採用。
「明るい未来を目指す」という願いが込められている。
「くが」は陸地、「やま」は山ではなく雑木林を指す。
本ブログでもよく訪れるが、
地図子、玉川上水を歩く -9 三鷹駅から暗渠化地点まで- は尾根上にあるのに、
駅自体は 地図子、神田川を歩く -1/5 井の頭恩賜公園から中野区境まで- と
神田川の目の前にあり、全然山ではない。
どういう経緯で稲城が選定されたのかという2説しか残っておらず、
そもそもどうして稲城になったのかは謎。
宇宙コロニーの存在を知ったのは下のブログから。
知られざる東京・稲城の名所たち。府中までの散歩道は宇宙コロニーに住んでいる気分になれて最高 - ココロ社
後編
多摩ニュータウンの都市センター地区として開発されたことによる。
写真は多摩市立複合施設パルテノン多摩より。
開業当時は通信学校駅で、陸軍通信学校が近くにあったことに由来する。
現在は写真の神奈川県立神奈川総合産業高等学校などが建つ。
相模大野駅の由来は「高座郡大野村」だったことだが、大野駅との差別化を図った。
1956年に南埼玉郡潮止村、八条村、八幡村が合併して八潮村になる。
人の定住の歴史は長く、4世紀頃の古墳として写真の八條殿社古墳が残る。
オオタカが生息する森が広がり、自然が残されていることが由来。
2005年に開業してかなり開拓されたが、それでも写真の沼のように自然を隠しきれず。
地図子、石神井川を歩く -2/3 武蔵関公園から正久保通りまで- で隣を歩いた
練馬城(現としまえん)が直接の由来だが、練馬城自体も
馬を訓練する「ねり馬」、粘り気の多い「練り場」、沼地の「根沼」の3説あり。
京都の僧侶「道興准后」が1486年に所沢に立ち寄り、
写真の新光寺で野老沢をもてなされたと『廻国雑記』に書かれているのが最古の資料。
明治の大合併のときに引又宿と舘本村が名前で揉め、
『和名抄』に書かれていた「新座郡志木郷」から名前を取るも、
実は本当の「新座郡志木郷」は和光市白子を指していたという悲しいオチ。
写真は新河岸川(左)と柳瀬川(右)の合流デルタ地点。
豪族河越氏が治めていたと同時に、川越市街地が川に囲まれていたという説あり。
雷が多く「鳴田」、稲の出来が良く「熱田」、開墾されたため「業田」の3説あり。
空港建設の発掘調査では旧石器時代の3万年前から人が居住していた、
など意外と人が住んでいる歴史は長い。
開業当時は曲金駅と呼ばれており、中川の曲流に由来するとの説あり。
おまけ
今回電車カードに引き換えるために立ち寄ったのはポポンデッタ。
こんなに色々な場所にあるとは初めて知りました・・・!ナイスチョイスです。
どこに行っても大人も子どもも楽しそうで、まさに鉄ヲタのパラダイス。
本当に(完)!